なぜ浦和サポーターの愚行は起こったのか 時代の推移とズレた「サポーターの理論」に問題点【コラム】
不祥事を繰り返す要因は「集団心理」と「サポーターの理論」か
日本サッカー協会(JFA)は9月21日、浦和レッズサポーターへの追加処分を発表し、浦和もクラブ独自の追加処分を科した。今後も調査は継続され、新たな処分が下る可能性もある。
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8月2日に行われた天皇杯4回戦の名古屋グランパス戦で、試合後にピッチや相手ゴール裏に乱入した件はまだ収まる気配を見せない。8月31日に浦和サポーター17人がJFAから日本国内で行われる全試合を対象に無期限禁止になるなどの処罰が下され、浦和はさらに国外も含んだ全試合の無期限入場禁止とした。
さらに、JFA規律委員会は9月19日、浦和に対して2024年度天皇杯の参加資格剥奪とけん責の処分を科している。21日にはJFA、JリーグおよびJリーグ全60クラブが共同で「浦和レッズをはじめとするクラブ、そしてサッカー界全体が真摯に受け止め、二度とこのような行為が起こらないよう断固とした姿勢で取り組んでいく覚悟」という異例の声明を発表した。
チームを後押しするはずの「サポーター」がこういう事態を招いてしまう。海外の一部のファンのように、単に暴れたくて試合に行っているのではないはずだとは思う。これまでも度々制裁が科されているにもかかわらず、繰り返してしまう理由は何か。
考えられるのは「集団心理」と「サポーターの理論」だ。
同じユニフォームを着て同じチャントを叫び、歌い、90分間の喜怒哀楽をともにする。かつてあった「巨人・大鵬・卵焼き」という、多くの人の嗜好が集約される時代が終わり、テレビをみんなが見て高視聴率になる時も過ぎ去り、他人との共通体験が少なくなってきた時でも、スポーツ観戦は強烈な仲間意識を植え付けてくれる。
その多くの仲間たちと一緒にいる、自分の思いが共有できているという高揚感が、日頃の自分とは違う、あるいは日頃抑えつけていた感情を刺激してしまう。普通なら考えられないような行動を起こしてしまうことが発生する。もっとも、それだけだったら突発的と言えるだろう。
「ドーハの悲劇」で理論の程度がエスカレート
繰り返しトラブルが起こってしまうのは、もう1つの「サポーターの理論」の影響が大きいのではないだろうか。かつて「サポーターの理論」あるいは「サポーターとしての思考の方向」が強烈に印象づけられた出来事があった。
1993年10月28日、アメリカ・ワールドカップ(W杯)アジア最終予選の最終戦でイラクと対戦した日本は2-1とリードしながらタイムアップを待っていた。90分を過ぎ、残り時間も秒単位になっていた時にイラクがコーナーキックを獲得する。短くつながれたボールがゴール前に送られるとヘディングシュートを防ぐことができず、土壇場で同点にされた。それは悲願のW杯初出場が消えた瞬間、「ドーハの悲劇」だった。
カタールに行っていたサポーターのうち、特に熱心に応援していた一部が日本に帰ってきたあと反省したのは、「自分たちはなぜやらなかったのか」ということだった。
最終予選の別の試合で、終了間際に多くのサポーターがピッチに侵入したことがあった。混乱を怖れたレフェリーはアディショナルタイムをほぼ取ることなく笛を吹き、試合を終わらせてしまった。
日本とイラクの試合も後半からは特に肉弾戦が多くなって、スタジアムの雰囲気は殺伐としていた。「あそこでサポーターがピッチに飛び込んでおけばコーナーキックの前に笛が吹かれたのではないか」。そんな話が帰国したあとのサポーター同士の話では出ていた。
「サポーターが唯一目指すものはチームの勝利。そのためにはたとえ禁止されていることや非難を浴びることでも行うのが正しい。またチームが馬鹿にされることは決して許してはならない」
元々そういう「サポーターの理論」はあったが、この時点で一気に程度が変わっていった。
もちろん当時もピッチ進入は海外でも日本国内でも御法度。1979年に日本で開催されたワールドユース(現U-20W杯)の決勝で、アルゼンチンがソ連を破った時に飛び降りてディエゴ・マラドーナに抱きついたファンがいたり、Jリーグが始まってからも飛び降りて看板を蹴ったりしたサポーターはいたが、今ほどは厳しく追及されなかった。
また、その当時は年末にいろいろなクラブのサポーターが一堂に会して忘年会が開催されるなど、横の結び付きも強かった。試合後にサポーターがピッチに集団で飛び降りて大々的に非難された時は、そのチームのリーダーが関係ないほかのチームのリーダーに「お騒がせしてすみません」と電話をしていた時代でもあった。
浦和が「社会正義に反する行為を行う人を、サポーターとは認めない」と明言
しかし次第に結び付きは薄れていき、過激度は増していった。世間そのものも不正に対して厳しくなり、カメラ付き携帯電話の普及でさまざまな証拠が残るとともにSNSで拡散しやすくなった。それでも「理論」はあまり変わってこなかったように思える。
クラブはサポーターを「同じく勝利を目指す仲間」として扱ってきた。そこには勝利のためとはいえ一線を越えられないクラブと、越えることを厭わないサポーターという違いはあるのだが、熱心な顧客であると同時に「同志」としている以上、簡単には切れない。
それが今回、浦和はクラブがはっきりしたメッセージを出した。
「仮に『勝利のため』という理由が伴っていたとしても、社会正義に反する行為を肯定することは絶対にありません。そして、『勝利のため』という理由で社会正義に反する行為を行う人を、サポーターとは認めません」
それでも「別にクラブに認められたくてやっているわけじゃない。自分たちはチームの後押しをしているし、自分たちがいるから相手から舐められなくて済む」というサポーターの一定の層はいるだろう。
だが、その行動が時代によって大きく制限されていることには気付かなければならない。昔は笑って許されていたことが、今では「ハラスメント」としてやり玉に挙がるよう、社会は変化してきた。
これまでと同じ成果をあげようと思っても、使えなくなった手段以外を探さなければならない。本当はその知恵が、そのクラブのサポーターの力量とも言えるのだろう。今回のことを機に、いろいろなクラブがよりすごいサポート活動をできるようになれば、日本サッカー最古の大会に出られないチームが出てしまったことが、ちゃんと意味を持つことに変わるはずだ。
(森雅史 / Masafumi Mori)
森 雅史
もり・まさふみ/佐賀県出身。週刊専門誌を皮切りにサッカーを専門分野として数多くの雑誌・書籍に携わる。ロングスパンの丁寧な取材とインタビューを得意とし、取材対象も選手やチームスタッフにとどまらず幅広くカバー。2009年に本格的に独立し、11年には朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌で開催された日本代表戦を取材した。「日本蹴球合同会社」の代表を務め、「みんなのごはん」「J論プレミアム」などで連載中。