身近なローカルヒーローに 東大卒元Jリーガーが信じるスポーツクラブの可能性「大谷翔平のようなスーパースターの存在も大切ですが…」【インタビュー】
【元プロサッカー選手の転身録】添田隆司(藤枝)後編:選手兼社員としてプレーした経験が転身に生きる
世界屈指の人気スポーツであるサッカーでプロまでたどり着く人間はほんのひと握り。その弱肉強食の世界で誰もが羨む成功を手にする者もいれば、早々とスパイクを脱ぐ者もいる。サッカーに人生を懸けて戦い続けた彼らは引退後に何を思うのか。「FOOTBALL ZONE」では元プロサッカー選手たちに焦点を当て、その第2の人生を追った。
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今回の「転身録」は、関西サッカーリーグ1部おこしやす京都ACの代表取締役社長を務める添田隆司だ。東京大学出身の添田は2015年に当時J3だった藤枝MYFCで史上2人目となる“東大卒Jリーガー”となり注目を集め、17年に現役を引退。18年にはおこしやす京都の社長に就任した。後編では、添田が感じるスポーツクラブの可能性について伺った。(取材・文=石川遼)
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添田は東京大学ア式蹴球部で4年生の時には主将を務め、卒業後に当時J3だった藤枝MYFCにアマチュア契約で加入。ファジアーノ岡山などでプレーした久木田紳吾氏に続く史上2人目の「東大卒Jリーガー」として話題になった。藤枝MYFCとおこしやす京都の前身であるアミティエSC京都で選手兼社員としてプレー。東大卒という経歴はもちろん、選手としても異色のキャリアを歩んできた。
2017年12月に現役引退。この時点で添田はまだ24歳の若さだった。スパイクを脱ぐと、おこしやす京都の親会社でもあるスポーツX株式会社に入社した。同社の代表を務めるのは藤枝MYFCの創業者で、添田がJリーガーとなるきっかけを作った小山淳氏。添田が「今の自分があるのは小山社長のおかげ」と語る恩人の下で新しいキャリアを歩み始めた。
2018年7月にはスポーツX社の取締役に抜擢され、さらに同年12月にはおこしやす京都の代表取締役社長に就任した。東大卒Jリーガーは、クラブチームの社長へと華麗な転身を遂げた。
藤枝MYFCでもアミティエSC京都でも選手兼社員としてクラブ運営に携わっていた添田だが、初めはスポーツビジネスへの関心はそれほど大きくなかったという。転機は藤枝MYFCに加入し、地元の企業との関わりを持つようになったことだったという。
スポーツクラブの可能性「いろいろな世代をつないでいくために」
「スポーツクラブの可能性に確信を持ち始めたのは、藤枝MYFCに入って約1年が経った頃でした。当時は週に1回、クラブの株主企業様のところに行かせていただいていました。とある企業から新規事業の模索に当たっての壁打ち相手になってほしいという依頼があり、私はまだ新卒1年目だったんですけど、毎週2時間くらい話をさせていただく機会がありました。その方は社員数は20人くらいのいわゆる中小企業の創業社長さんでしたが、本当にいろいろな角度から物事を考えられていましたし、発想力もすごく豊かでした。何よりも会社をなんとかしないといけないという責任を背負い、何事も自分で決断している姿が本当に凄いと感じました。当時の藤枝MYFCにはそういった株主さんや関係先の企業が約550社ありました。そうした企業は非常に前向きな投資としてクラブに関わっているケースが多く、そういう前向きなエネルギーをもった企業が550社もあると知った時に『これはもの凄いパワーとネットワークなんじゃないか』と感じたんです」
添田はクラブの人間として地域の企業や人と密に関わりを持つなかで、地域と深く結びつくスポーツクラブの可能性を強く感じ始めたという。そして、クラブの経営に携わるうえで選手としての経験はやはり大きな財産だったと身に染みて感じていた。
「私は藤枝でプレーしていた当時、地域の学童保育も計60か所ぐらい回らせていただきました。僕はキャリアの2年半で10試合しか出ていないような選手でしたけど、そんな私のような選手でも子供たちはすごく喜んでくれました。一緒にサッカーをして、最後にはサインの行列ができて、プチスター気分を味合わせてもらいました(笑)。こうやって選手は地域で子供たちの目標になったり、楽しさを与えられるような存在になることができる。大谷翔平選手のようなスーパースターの存在も大切ですが、身近で関わることができるローカルヒーロー的な存在も地域に求められる思います。そういう存在がいろいろな世代をつないでいくためには必要だと感じましたし、その担い手になれるスポーツチームには大きな可能性があると確信しました」
また、添田は自身が選手として多くの試合に出られなかった経験があるからこそ、選手たちの苦しみを理解できると語る。選手としての経験は、さまざまな視点からクラブの代表としてのキャリアに生かされている。
「試合に出られなかった時に選手がどんな気持ちになるのか痛いほど分かります。試合に出られず、ネガティブな気持ちになってマイナスなことを口にしてしまうことは絶対にダメですが、気持ちはよく分かります。ほかにも、例えばシーズンの終盤になってくると来年の契約がどうなんだろうと気になってしまう選手の心理状態の変化も実感を持って理解することができる。そういう選手の気持ちを理解できるというのは、今の仕事にも生きている部分なんじゃないかなと思います」
「クラブに携わっている人が本当の意味でずっと前向きでいられたら」
添田がおこしやす京都の社長になって間もなく5年となる。2021年には天皇杯でJ1サンフレッチェ広島に勝利するジャイアントキリングで話題を呼んだ。目標とするJFL昇格、Jリーグ加盟の目標に向かってチームは歩み続けている。
「クラブとしてはもちろんより上のカテゴリーに行くことを目指しています。具体的には、自分が代表をしているうちにJ2まで持っていきたいという思いを持っています。そして、それが実現できたあとには僕よりも若い、できれば20代の人に代表を引き継いでもらえたらいいなと思っているんです。当然、クラブには今後もずっと関わっていきたいなと思ってるんですけど、より若い人に引き継げたら理想かなと思っています」
中にいる人間が変わっても、クラブが追い求めてきたビジョンや哲学は次の世代にも引き継がれていく。そんなクラブのあり方が理想だと添田は話す。
「そうやって脈々と続いていくようなクラブにできたら理想だと考えています。そして、今おこしやす京都ACに携わっている選手やスタッフが本当の意味でずっと前向きで、誰かのために動くことができるようなクラブになってもらえたらと思っているんです。そうすれば、このクラブで人と接することで明日頑張ろうと思える人も増えると思います。少し抽象的かもしれませんが、そうやって私たちは新しい地域クラブの姿をしっかりと構築していきたいと思っています。そして、僕が選手時代にも感じたようなスポーツチームの可能性をこのチームで再現して、発揮していけたらなと思っています」
スポーツクラブが持つ可能性を信じる添田の挑戦はこれからも続いていく。
(文中敬称略)
[プロフィール]
添田隆司(そえだ・たかし)/1993年3月15日生まれ、東京都出身。筑波大学附属高―東京大―藤枝MYFC―アミティエSC京都。2015年、史上2人目の東大出身Jリーガーとして藤枝MYFCに加入。現役時代は主にサイドハーフとしてプレーし、J3通算10試合に出場した。17年12月に24歳の若さで現役引退を決断。スポーツX株式会社の取締役(現任)を経て、18年12月からおこしやす京都AC株式会社の代表取締役社長を務める。
(石川 遼 / Ryo Ishikawa)