「誰でも日本代表になれるわけではない」 森保監督が子供の夢に“現実的プロセス”を示した理由は?【コラム】

佐賀県での講演会に登壇した森保一監督【写真:森雅史】
佐賀県での講演会に登壇した森保一監督【写真:森雅史】

8月10日に佐賀県で講演会を実施

 森保一監督は8月10日、佐賀県佐賀市で「『スポーツのまち』佐賀市でサッカー日本代表 森保一監督とスポーツ振興を語ろう!」と題した講演会に出席し、ワールドカップ(W杯)を含む自身の体験談を語るとともに会場からの質問に答えた。

 2022年のカタールW杯は「メンバー26人中19人が初出場だったのですが、『経験の場』というだけで終わってしまうことはなく、世界の強豪と同じ目線で、自信を持ってチャレンジ、トライして、ドイツやスペインという優勝経験のある国に勝てた。(見ていた人が)日本人は世界の中で勝っていける、日本人にできるのだというところを感じていたら嬉しいと思います」と語り、観客席からは大きな拍手が寄せられた。

 また、高校時代に部活をやっていない友人たちが遊んでいるのをうらやましく思い、1週間ほど練習をサボって遊んだというエピソードも披露。再びサッカーをやりたくなって顧問の先生のところに頭を丸めてお願いにいったと語ったあと、「夢を持って一直線で行けるのは幸せなこと。だけど、興味が変わって夢が変わって、もっと好きなことが出てきた時には、自分の気持ちに従うのもいいと思っています」と柔軟な姿勢も見せた。

 時にユーモアを交えながら1時間40分ほど聴衆を沸かせ続けた森保監督だったが、その中で1つだけ代表監督としての厳しさを見せる場面があった。

 それは、小学校6年生の児童からの質問に答えた時。「何を意識して練習に取り組めば、日本代表になれますか」という問いかけだった。

 最初は「監督やコーチの言うことをまず実践」「疑問に思ったことを監督やコーチに聞いて、やっていることをさらに効果的にすることが大切」などと答えていた森保監督だったが、途中でちょっと考え込んだかと思うと、トーンを落として語りはじめた。

「夢を壊すようなことを言うかもしれないのですが、誰でも日本代表になれるわけではないという現実を受け入れる力もすごく必要と思っています。自分の持っている可能性を最大限に伸ばしてほしいと思いますが、日本代表の選手になる、プロ選手になることだけが成功じゃないとも思います」

講演会では自身のエピソードに加え来場者からの質問に答えた【写真:森雅史】
講演会では自身のエピソードに加え来場者からの質問に答えた【写真:森雅史】

森保監督が自然体を貫く訳

 本当ならこの質問に対して、「努力を続けてください」「夢を常に持って」などと答えて終わるのが無難だっただろう。会場の人たちは意外な言葉に驚いていたが、森保監督はそんな聴衆の雰囲気など気にしていないようだった。もしもこの「空気」が気になるような人物だったら、とても日本代表の監督など務められないということかもしれない。

 森保監督は淡々と続けた。

「自分がどれだけ努力したのかを、自分自身が振り返って後悔なく納得できることと、結果を受け入れることはすごく大切です。上に向かうことはもちろん大切ですけれど、プロセスを大切にすることをしていただきたい。私自身は、すべて勝ちたいと思いながら、そう上手くはいきません。自分がどれだけその目の前の試合に努力できたか、やるべきことをやったかを振り返るようにしています」

 日本代表になるためには何をすればいいかという質問から、いきなり人生の考え方になった。監督が急に「どう生きるか」という真剣な回答になったのには理由がある。それは講演が進むと明らかになった。

「目標や夢があって叶えるために今を頑張ることは1つの手段だと思いますが、私が選手になる時には、まだJリーグがなくて、就職して日本リーグという舞台でプレーしたい、日本代表もなんとなくなれたら、と思っていました。今やっていることが楽しいから、好きだからとサッカーに取り組んでいたら、夢が現実になっていったという感じです」

 森保一選手がマツダ(現サンフレッチェ広島)に入社した1987年はまだ、プロサッカーリーグの影も形もなかった。多くの選手は社業の合間に競技生活を送っていたが、それでも当時は恵まれた環境だったのだ。

 1990年代に入ると時代は一気に動いた。プロサッカー選手になったし、日本代表にも選ばれた。就職した時は、W杯にチームを率いて出る、強豪国を撃破するなど夢にも見ることはなかったはずだ。

「ドーハの悲劇」「W杯に監督として出場」という両極端の経験は、時代の大きな波に飲まれていたと言えるのではないだろうか。自分の力だけではどうしようもないという思いがあるからだろう。W杯メンバー発表会見で心境を聞かれて「行雲流水」と答えたように、森保監督は自然体を貫こうとする。

三笘や吉田のように基本ベースがあったうえでの武器の必要性を強調

 もっとも、さすがに日本代表の話題になると熱が入った。選手選考の基準について考え方を語った時には特にだ。

「ベースの部分、ことメンタル的なものを培っている選手というのが前提ですが、どれだけ武器を持っているかだと思います。たとえば三笘薫は左のサイドを上下動できて、相手を突破して得点に結び付けられる、得点することができる。吉田麻也には強さと周りを統率できる能力がある。基本ベースがあったうえで武器を持っているところです」

 本当は子供の質問に最初からこう答えれば良かったのかもしれない。だが、この迷いながらも最後は結論に行き着くところが、紆余曲折を経てカタールW杯のチームを作り上げた森保監督の姿に重なる。

 3月のウルグアイ戦、コロンビア戦でワールドカップチームを解体して作り直し、6月のエルサルバドル戦、ペルー戦で多少の形を整えた。だが、今はまだ2026年アメリカ・カナダ・メキシコW杯に向けて試行錯誤をくり返さなければいけない時。この講演のように、自分が重要だと思う点にいろいろと寄り道しながらも、最後はしっかり「答え」を見つけてほしいものだ。

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森 雅史

もり・まさふみ/佐賀県出身。週刊専門誌を皮切りにサッカーを専門分野として数多くの雑誌・書籍に携わる。ロングスパンの丁寧な取材とインタビューを得意とし、取材対象も選手やチームスタッフにとどまらず幅広くカバー。2009年に本格的に独立し、11年には朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌で開催された日本代表戦を取材した。「日本蹴球合同会社」の代表を務め、「みんなのごはん」「J論プレミアム」などで連載中。

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