元名古屋Jリーガー、現役に別れ→なぜアスリート就労支援に? 「引退して良かった」と思える“第2の人生”

2022年限りで現役を引退した磯村亮太【写真:本人提供】
2022年限りで現役を引退した磯村亮太【写真:本人提供】

【元プロサッカー選手の転身録】磯村亮太(名古屋、新潟、長崎、栃木)第1回:プロキャリアに終止符、マイナビへ転職

 世界屈指の人気スポーツであるサッカーでプロまでたどり着く人間はほんのひと握り。その弱肉強食の世界で誰もが羨む成功を手にする者もいれば、早々とスパイクを脱ぐ者もいる。サッカーに人生を懸けて戦い続けた彼らは引退後に何を思うのか。「FOOTBALL ZONE」では元プロサッカー選手たちに焦点を当て、その第2の人生を追った。

 今回の「転身録」は名古屋グランパスのアカデミーからトップ昇格、その後アルビレックス新潟、V・ファーレン長崎、栃木SCを経て2022年限りで現役を引退した磯村亮太のセカンドキャリアについて。2011年にはJ1リーグで3試合連続ゴールを決め、翌12年には日本代表にも選ばれた磯村だが、14年間のプロキャリアに終止符を打った。

 現在はサッカー界ではなく人材育成や就労支援のビジネスに興味を持ち、株式会社マイナビのアスリートキャリア事業部にて第2の人生を歩み始めている。第1回では、なぜ「アスリートキャリア」だったのか、彼がなぜこの仕事に魅力を感じたのかを紐解いていく。(取材・文=今井雄一朗)

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「すいません、ちょっと返信していいですか?」。取材を兼ねてともにした食事の席で、彼は何度も“顧客”からの連絡に丁寧に対応していた。通知の相手は就職活動中の大学生。2022年を最後にプロサッカー選手のキャリアを終えた磯村亮太は今、競技と仕事の両立を目指すアスリートたちの就労支援に明け暮れている。「ちょうど昨日、自分が担当した人が初めて内定をもらったんです」。マイナビに就職して約1か月、最初の成果を挙げて浮かべた笑顔はまるで兄弟か親のようだった。それだけ親身になれる、やりがいのある仕事に就けたのだ。

 昨季限りでの引退を決めていた磯村は漠然とアスリートのセカンドキャリアについての興味は抱いていたが、自分が何をしたいか、すべきかについては明確な方針を決められずにいた。当初は「1年ぐらいゆっくりしようかな」という気持ちもあったが、周囲に相談すればするほど「そうも言っていられない」と方向転換。そこで話を聞いた中で、名古屋アカデミーの大先輩である富岡英聖とのやり取りが心に刺さった。「1つ、質問があるんだけど、小さい時にどんなサッカー選手になりたかった?」。磯村が思い浮かべた記憶は、そのまま今後の指針となっていく。

「僕はいろいろなことがやれる選手になりたかったと思っていたんです。ドリブルばかり、パスばかりの選手には魅力を感じなかった。ドリブルもできる、パスもできる、何でもできる選手になりたかったんですね。そうしたら英聖くんは、『小さい時にどんなサッカー選手になりたかったかは、どんな人間になりたいかという部分と類似している』と言うんです。

『サッカー以外の道でもいろいろなことがやれる。そういう人間になりたいって思ってるんじゃないか?』って。それがすごく僕には腑に落ちた。自分はサッカーではなく、ほかの道に行きたいって思ってるんだと思えた。自分もそういうことを言ってあげられる人になりたいなと思いましたね。ヒントを与えられる人間になりたいと」

 指針が決まれば道は開ける。知人から紹介されたマイナビを含めた数社を自らのセカンドキャリアを見定め、行動を開始。つまり普通の“就職活動”を一通り経験した。それは彼にとっては自分を掘り下げ、これから戦っていく世界に対する気持ちを確かめる作業になったという。そしてその結果、現在務める企業の魅力も再確認することにもつながり、新たな仕事へのモチベーションを高めることにもなった。

「いろいろな企業に就活するからには、やっぱり受かりたいわけです。そのために一生懸命考えました。『この企業に対して、自分はどういう貢献の仕方ができるのかな』と。就活って、すごく自分と向き合えた時間だったんです。それだけでもやって良かったと思いました。これから自分がサッカーではなく、ビジネスの世界でやっていくんだっていう、1つの決意表明にもなりましたし。

結局、自分はマイナビに内定をもらえたわけですが配属された『アスリートキャリア事業部』って、まだ20人ほどの小さな部署なんです。35ぐらいある部署の中でも、おそらく一番新しくて、まだ始まったばかりの部署。この部署を大きくしていきたいっていう気持ちになったことも、マイナビを選んだ理由の1つでした」

名古屋時代はJ1リーグ制覇やA代表初招集も経験【写真:Getty Images】
名古屋時代はJ1リーグ制覇やA代表初招集も経験【写真:Getty Images】

東京と名古屋の往復生活、少しずつ軌道に乗り始めた「キャリアアドバイザー」職

 晴れて就職が決まった32歳の新人は、「キャリアアドバイザー」という職を得て今は東京と名古屋の往復生活を送っている。5月には待望の第一子となる男の子も生まれ、父親としての人生もスタートした。肝心の仕事も少しずつ軌道に乗り始め、新卒、転職含めた求職者との面談を行なっては内定への道筋を一緒になって考える日々。しかし具体的な内容を問うと、「相談しやすい兄ちゃんみたいな感じです」と意外な答えが返ってきた。

「キャリアアドバイザーというのは、簡単に言うと、就活や転職の相談相手のような存在です。面談を通じてその方の強みや弱みを一緒に分析したり、適性検査の結果や本人の希望などを参考に、就活、転職をどのように進めるかを決めるサポートをしています。入社してまずやったことは同僚の面談を見せてもらうこと。過去の面談映像なども見漁って、ある程度自分の中で面談のイメージが付いたら次はロールプレイングです。

上司や同僚から『やってみようか』と言ってもらえてからは、実際に面談を任せてもらえるようにもなりました。やりながら覚えることも多かったけど、逆にありがたかったです。結局のところ自分でやってみないと分からないので。もちろん最初は話すのだけでも苦労はしましたけど、一番はやっぱりその人の持っているもの、どういう企業に就職したいのか、どんな悩みを持っているから転職したいのか、それを聞くのが大事だと分かって。友だちというか、“相談しやすい兄ちゃん”みたいな感じになれればという気持ちになってからは、だいぶ楽にはなりました」

 とはいえ、プロで14年間を過ごしてくれば、後輩からの相談は一度や二度ではなかったはず。そうした経験も今の仕事に生きているかと言えば、「選手同士は同じ立場。いくら年齢が違うとはいえ、そこは違う気がしますね」と磯村は言う。なるほど、どこまで行っても自己責任、自分次第のプロの世界とは発言の重みもまるで別。「人生の大きな決断の部分に携わる仕事はやりがいも感じる分、やっぱり担当している責任も大きい」と思えるからこそ、入社1週間で本格化した仕事にも誠心誠意向き合ってきた。

「僕はまだ働き始めたばかりだからって、その人にはそんなの関係ない」。高卒でJリーガーになった磯村は大学での就職活動の経験もエントリーシートを書いた経験もなかったが、資料を読み漁って一緒に作れるように努力した。デュアルキャリアの就職サポートでは、さまざまな練習環境の希望を持つアスリートたちが伸び伸び活動できるような企業の情報を他部署と共有し、常に最適の環境を提供する下準備も怠らない。

目指すはキャリアアドバイザーの“プロ”、今は「純粋に楽しい」

 面談から始まり、内定そして入社へ向けた道筋を立てていく作業の中ではふと指導者の気持ちにもなるという。

「最初の面談であまり話せなかった人も、本番に向かっていくにつれ、成長していくのを感じるんです。監督やコーチってこんな感覚なのかなって思いますよね」

 引退を決断する際、もちろん彼の選択肢にはサッカー指導者の道もあった。後述するが、監督という存在の大きさを磯村は現役時代に痛感している。だが、「社会のことを何も知らないのに、このまま引退して指導者になっても、たかが知れてる気がしちゃって」と、確信を持つことができなかった。

 いずれは指導者にと考えているわけではなく、なる可能性も否定しない。スポーツとサッカーと縁を切ったわけではなく、しかし“スポーツ村”の功罪を俯瞰したところから、自分が今後できる貢献を考えたいと思っている。

「まず自分はキャリアアドバイザーの“プロ”になることです。サッカーをやっていて、Jリーガーで引退した選手に僕が『全部相談乗れるよ』と言えるようになりたい。部署の仕事としては、セミナーなどを通じた人材育成にも力を入れているので、そこにもしっかり携わりたいと思っています。

そのふたつが自分の中ですごくやりたいことになったから、マイナビに魅力を感じたし、自分の道が拓けていく可能性が一番あると感じたのがこの事業部でした。実際、こうしてサッカー界から一度出てみると分かることもあります。スポーツをやっていたことで、それが良い部分もあれば、やっぱり悪い部分もあるんです、絶対に。だから“外の世界”から学ばないといけないことは絶対にあって、それも学んでいきたい」

「仕事はどう?」と最初に聞いた時、磯村は「こんなこと言っていいか分からないんですけどね」と前置きして、にっこりと笑った。「このタイミングで引退して良かったな、と思うところがすごくあります」。

 サッカーを生業にして、その戦いの中で目標を見失っていたことがスパイクを脱ぐ大きな理由だった男にとって、やりがいのある、新たな目標のある毎日が始まったことは何よりのことだった。同僚にも恵まれ、慣れない事務作業も楽しいと思えて、磯村は第2の人生を楽しめている。

「純粋に楽しくて、『ああ、生きてるな!』って感じられています(笑)」。誰かの人生を手助けして、自らの人生も豊かにする。現役時代、ボランチとしてチームの縁の下の力持ちだった男は、そのセカンドキャリアにおいても同様の役割を担い、今日もその身を尽くしている。

(文中敬称略)

※第2回に続く

[プロフィール]
磯村亮太(いそむら・りょうた)/1991年3月16日生まれ、愛知県出身。Jリーグ通算189試合8得点。名古屋グランパスU-15、U-18を経て2009年にトップ昇格。8年半の在籍期間中には、J1リーグ制覇(10年)や日本代表への初招集(12年)も経験した。17年以降はアルビレックス新潟、V・ファーレン長崎、栃木SCと渡り歩き、昨シーズン限りで現役引退。現在は(株)マイナビでアスリートたちの就労支援に携わる。

(今井雄一朗 / Yuichiro Imai)



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今井雄一朗

いまい・ゆういちろう/1979年生まれ。雑誌社勤務ののち、2015年よりフリーランスに。Jリーグの名古屋グランパスや愛知を中心とした東海地方のサッカー取材をライフワークとする。現在はタグマ!にて『赤鯱新報』(名古屋グランパス応援メディア)を運営し、”現場発”の情報を元にしたコンテンツを届けている。

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