飲酒なしを貫いた鉄人 日本代表OBが驚いた“食の節制者”とは?「揚げもの、ラーメンを食べたと聞かなかった」

横浜FMでは中澤佑二と共闘【写真:Getty Images】
横浜FMでは中澤佑二と共闘【写真:Getty Images】

【専門家の目|栗原勇蔵】万人が効果を得られる成功法がない分、自分に合うスタイルを

 サッカー選手にとって、食事は重要なファクターだ。身体作りのためには十分なエネルギーと栄養素の補給を考え、練習や試合で消費したエネルギーを補充できているのか確認すること。また、体調管理として日々の疲労度や食欲などの体調面を振り返り、十分な栄養素の補給に努めることで障害予防にもつながる。「FOOTBALL ZONE」では「サッカー×食」で特集を組み、現役生活18年でJ1通算316試合に出場した元日本代表DF栗原勇蔵氏に印象に残っているエピソードなどを訊いた。(取材・構成=FOOTBALL ZONE編集部)

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 近年では、炭水化物・タンパク質・糖質・脂質のバランス管理やグルテンフリー(小麦を含む食品を摂取しないようにするライフスタイル)の徹底などが浸透している。しかし、Jリーグが開幕した1990年代や2000年代前期は、自発的に取り組む選手は決して多くなかったという。横浜F・マリノス一筋18年でプレーした元日本代表DF栗原氏は、「食事のバランスはあまり気にしてなかった」と苦笑いする。

「ラーメンは食べない、揚げ物は食べないという選手も中にはいましたけど、自分は若造の頃にバカやっていました(苦笑)。豪快にラーメンを食べたり、節制していなくても結果を出すのがかっこいいみたいな時代でだったので、そういうのに憧れてましたね。先輩にも、逆に、そういう(節制みたいな)ことをしているヤツには、絶対に負けたくないと言っているタイプの人が多かった気がします(笑)。試合の前泊はビュッフェスタイルで、バランス良く取れるようにいろんな種類の食事を用意してくれていましたけど、ご飯大盛りと肉をがっつり食べておしまいみたいな感じでした」

 節制による効果はもちろんあるが、体質や得られる効果は十人十色であり、何がなんでも制限をかければいいものではないと、元プロ選手の目線から栗原氏は見解を述べる。

「当時は若いから怪我もしないし、太らないというサイクルは運良くできましたけど、そういうのが塵も積もって、ベテランになっていくにつれて選手寿命を縮めたり、怪我につながるリスクが高まるので、もう一度サッカー人生をやり直せるのであれば、現代の習慣に合わせてきっちりやりたいです。正直なところ、コーラを1本飲んだから、唐揚げを1個食べたから死ぬわけでもないし、怪我をするわけでもないとはいえ、そういうことを1つすることで、2個3個と広がっていくこともあるので。ただ、制限をかけることでストレスを感じる人もいれば、食べたり、油を多少採ったほうが筋肉的に肉離れしないとか、そういうタイプもいたりします。万人が効果を得られる成功法はないと思います」

元日本代表DF中澤佑二氏は「自分の貫いていることが正しいとプレーで証明」

 栗原氏は「今は栄養士の方を雇ったり、徹底していますけど、当時は個人で管理しなくてはいけなくて、それを365日やり続けるのは気持ちが持たなかった」と若き日を回顧。そのうえで、「それに耐えられる気持ちの強い選手が本当の一流選手なのかなとは思う」として、名前を挙げたのが、横浜FMで長年センターバックのコンビを組んだ元日本代表DF中澤佑二氏だ。

「シュンさん(元日本代表MF中村俊輔氏)は(足首の)怪我もあったし、身体がそこまで強くなかった気がします。でも、徹底してケアするからこそ、44歳までプレーできたはず。サッカーセンス、技術、努力はずば抜けていた半面、身体的な強さはシュンさんのほかにもっと強い選手はたくさんいました。節制の断トツは(中澤)佑二さんかな、と。揚げものを食べた、ラーメンを食べたという話もほとんど聞かないし、もちろんお酒も飲まない。『1年間お疲れさま』の位置づけで行われる納会で、マツさん(松田直樹)が後輩の小椋(祥平)に『佑二に飲ませてこい!』とか言ってふざけたら、『そういうことやるんだったら、こういう会にも一切来ない』と、みんな唖然としたことがありました(笑)。プロフェッショナルで徹底していたし、たとえ人にどう思われようが関係なく、自分の貫いてることが正しいとプレーで証明した選手だと思います」

 歴代3位のJ1通算593試合に出場した“鉄人”ぶりの裏側には、一緒にプレーした選手たちの目から見てもストイックさが群を抜いていたようだ。

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栗原勇蔵

くりはら・ゆうぞう/1983年生まれ、神奈川県出身。横浜F・マリノスの下部組織で育ち、2002年にトップ昇格。元日本代表DF松田直樹、同DF中澤佑二の下でセンターバックとしての能力を磨くと、プロ5年目の06年から出場機会を増やし最終ラインに欠かせない選手へと成長した。日本代表としても活躍し、20試合3得点を記録。横浜FM一筋で18シーズンを過ごし、19年限りで現役を引退した。現在は横浜FMの「クラブシップ・キャプテン」として活動している。

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