元仙台・太田吉彰&鎌田次郎が回想する東日本大震災 試合再開までの舞台裏「スポーツをやっていいのか…」

元仙台の鎌田次郎氏(左)と太田吉彰氏【写真:FOOTBALL ZONE編集部】
元仙台の鎌田次郎氏(左)と太田吉彰氏【写真:FOOTBALL ZONE編集部】

【対談】12年前に起こった東日本大震災を回想

 2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災が発生した。当時ベガルタ仙台に所属していた太田吉彰氏と鎌田次郎氏にとって、一生忘れられない光景が目の前に広がっていた。あれから12年が経つなか、Jリーグ再開初戦でゴールを決めた2人が「FOOTBALL ZONE」のインタビューに応じ、当時の様子を振り返った。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小西優介)

   ◇   ◇   ◇

――地震が発生した瞬間の様子は?

太田吉彰(以下、太田)「午前の練習が終わって家に帰っている途中でのことでした。揺れは本当に大きくて、目の前のガソリンスタンドの看板が落ちてきたほどです。家族に連絡はできましたが、徐々に電波も弱くなっていき、親戚などに連絡できなった。初日は公園の近くに車を停めて生活し、津波の状況などはワンセグで見て知りました」

鎌田次郎(以下、鎌田)「チームメイトとご飯を食べるなどゆっくりしていたなかでの大きな揺れで『みんな外へ出ろ!』と。車に乗って急いで帰りました。地震で建物が揺れるのは分かりますが、外の道路が揺れていて。そんな体験はしたことがなくて驚きました」

――次の日からの流れについて教えてください。大変だったことはありますか?

太田「次の日に自然と選手たちはクラブハウスに集まっていました。『しばらく練習や試合はないから各自で(実家などに)帰っても大丈夫』と言われたのを覚えています。1週間ほど仙台で過ごしたあと、車で新潟まで行き、飛行機で名古屋まで飛んで実家に帰りました。仙台では電気・ガス・水道すべてが止まっていて大変で、コンビニのレジも電卓を使っていて長蛇の列でした。毎日余震もありましたし、サッカーどころじゃない、と。その日を必死に生きていました」

鎌田「何日か仙台で過ごしてから、車で新潟から大回りで東京の実家に帰りました。その日の食料調達のために、コンビニ、スーパー、ガソリンスタンドにも長時間並びましたし、何をやるにしてもすべてのことが大変でした」

リーグ戦再開は「不安な気持ちしかなかった」

――試合再開決定とその後の流れを教えてください。

太田「チームから『この日までに戻ってくるように』と連絡があったので、大量の食糧を抱えて仙台へ戻りました。その後、再開初戦がアウェー川崎フロンターレ戦だったので、埼玉と千葉でキャンプを行い、試合に臨みました。チームに合流するまでは自主練習という形でしたが、全くやれていませんでした。練習どころではないし、被災地のことなどを思うと、あまり身体を動かそうという気持ちも湧いてきませんでした」

鎌田「ヨシくん(太田)と同じで、自主練習はやる環境もなければ、スポーツをやる雰囲気ではなかった。コンディションも若かったからなんとかなりましたけど、ベテラン勢は大変だったと思います。不安ながらも試合への準備をしていき、キャンプに入ってから徐々に気持ちも入っていった感じでしたね」

――試合再開が決まった時の心境は?

太田「まずスポーツをやっていいのかというのと、試合をやれるのかという不安な気持ちしかなかったです。けれど、当時の監督だった(手倉森)誠さんが『東北のために、被災地のために』と、ポジティブなことをずっと言ってくれて、試合が決まった以上はやるしかないという気持ちになりましたし、被災地を回った時に、『スポーツで勇気づけて』と各所で言ってもらえたので切り替えられましたね。あとは、メディアなどに注目されていたこともあって、(試合)前日は緊張していたのを覚えています」

鎌田「最初から『よしやるぞ』という気持ちにはならなかったですね。その点では、モチベーターの誠さんが監督で本当に良かったです。誰かを中心にではなく、自然とチーム全員が一帯になったのを感じました。被災地のボランティアや炊き出しなどを行い、『やらなきゃいけない』という気持ちが自ずと沸いてきましたね」

※第2回に続く

[プロフィール]
太田吉彰(おおた・よしあき)/1983年6月11日生まれ、静岡県出身。ジュビロ磐田ユース―磐田―仙台―磐田。J1通算310試合36得点、J2通算39試合4得点。トップ下やFW、サイドハーフなど攻撃的なポジションをマルチにこなす鉄人として活躍した。2007年にはイビチャ・オシム監督が指揮する日本代表にも選出。2019年限りで現役を引退し、現在はサッカースクール「YPPA 太田吉彰サッカーアカデミー」を昨年開講した。

鎌田次郎(かまた・じろう)/1985年7月28日生まれ、東京都出身。流通経済大時代の06年に特別指定選手として柏レイソルに所属し、08年に正式加入。10年から仙台に完全移籍し、11年と12年のJリーグアウォーズで優秀選手賞の1人に選出された。その後、16年に柏へ復帰。21年に相模原へ期限付き移籍し、22年から完全移籍となった。同シーズンはJ3リーグ戦16試合に出場し、1得点を記録。同年11月に契約満了後、今年1月21日に現役引退を発表していた。344試合に出場し15得点を記録。

(FOOTBALL ZONE編集部・小西優介 / Yusuke Konishi)



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