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三笘薫は「自分を変えられる」 筑波大恩師が語る“特異なパーソナリティー”「これで終わりじゃないんだろうなと…」
【インタビュー】筑波大蹴球部・小井土正亮監督が見た三笘のパーソナリティー
今季プレミアリーグでブレイクを遂げた三笘薫は、昨年のカタール・ワールドカップ(W杯)を経て、世界最高峰リーグで輝きを放つ日本人アタッカーへと成長を遂げた。「FOOTBALL ZONE」では三笘の“過去”に迫るべく特集を展開。人物像を紐解くコンテンツとして、筑波大蹴球部で4年間指導した小井土正亮監督が見たパーソナリティーをお届けする。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・橋本 啓)
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◇ ◇ ◇
カタールW杯後のプレミアリーグで、三笘の名は一気に英国中へ知れ渡った。世界最高峰とも言われる舞台で、自慢のドリブル突破で幾度となくチャンスメイク。対峙した相手には、世界一流と言われる名手もいた。そんな実力者を前にひるむことなくスピード感溢れる突破で抜き去っていくその技術に、現地では脱帽の声が次々と上がった。
三笘がプレミアリーグでブレイクを果たした姿を、筑波大蹴球部で指導する小井土監督は「驚きはもちろんありましたし、違う世界の人間を見るような感覚はありました」と率直に振り返る。一方で「たまたまできたわけではないだろうし、彼ならやるだろうなっていう思いもしています」とも言う。
川崎フロンターレの下部組織で育った三笘は高校卒業時、トップチーム昇格の打診を断り、大学進学を選択した。プロで通用する能力はまだない、そう感じたのがプロ入りを蹴った1つの理由だった。謙虚でかつ、しっかりと物事を把握する。今の自分に何が足りなくて、そのためにどうすべきなのか、賢明な判断のもと行動できる三笘のキャラクターは大学入学時からすぐに感じられたという。
「物静かなんですけど、しっかりと物事を考えて、その場での思いつきというよりも考えたうえで発言もでき、将来設計も含めた部分で感覚というより、論理的に物事を進めるタイプ。周りに言う前に、自分がやるべきだとか、自分がプレーすれば解決する話だからとか、自分にベクトルを向けることのほうが多かったです」
そんな三笘は、当時から突出した存在ではなかった。「独特の間合いでプレーでき、相手の逆を取り続けられるようなセンスは非常に高かった」(小井土監督)ものの、1年時はレギュラーにはなれず、関東大学リーグでの出場時間はシーズンを通して300分程に限られた。小井土監督は改めて振り返る。
「当たられたらすぐ倒れてしまうような弱さもあったし、足首の捻挫のような小さな怪我も多かったので、それをどう克服するのかの課題が多かったです。90分走り続けられるフィジカル的な要素も足りなかったので、言ってみれば足りないところだらけですよね。決してスペシャルではなかったです」
自分を変えていける能力こそ、三笘の“真髄”
それでも三笘は、大学2年時以降レギュラーへ定着。その後、プロ入りを果たし現在に至るまでの成長曲線を描いた。その決定的な要因は何だったのか。小井土監督に訊けば、三笘に見えた特異なパーソナリティーの1つとして「自分を変えられる人間」だった点を挙げる。
「今、プレミアリーグで自由自在に無双できるとは思っていないだろうし、たまたまゴールを奪った試合が続いた程度だと本人は認識していると思います。多少うまくいかない時があったとしてもなぜなのか、次にどうしなきゃいけないのかという姿勢は大学の時から感じられ、その都度考えながら自分を変えていけた人間だったと思っています」
小井土監督には、プロ入り後の三笘に確かな変化を感じ取った部分がある。「技術的なところで言うと、他の選手がマネできないようなタッチの柔らかさだったり、懐の深さだったり、図抜けていた部分はありましたが、今のようにドリブル突破して点を決めたり、相手を振り切れるほどのスピードがあったかというとそうではなかったです」
ルーキーイヤーの2020年シーズン、三笘は新人最多タイ得点記録となる13ゴールをマークした。大学とプロでは環境も役割も異なるため、もちろん単純比較はできない。ただ、目の前の相手をかわすだけだった三笘がゴールを量産する光景は、少なくとも大学4年間では見たことがなかった。「自分がどういうプレーをすれば生き残れるかを意識しているので、なにか対策を講じられればまた違うものを加えていくだろうし、成長の余地がまだまだあるんじゃないかと。自分を変えていける能力というのは非常に高いですし、それが彼の真髄のような気がします」
小井土監督の脳裏にはっきりと焼き付いているのが、自らを進化させるべく、とにかく貪欲だった大学時代の三笘の姿だ。怪我をしない身体づくりのために、その予防策や食べ物にも気を配った。さまざまな専門分野に長けたスペシャリストが揃う筑波大の環境を最大限に生かし、栄養学、トレーニング学を積極的に学んでいたという。サッカーの技術を伸ばすだけではなく、陸上部のトレーニング指導を参考に、走り方や止まり方、身体の動かし方への改善にも目を向けた。
川崎の下部組織からそのままプロへ進んでいても成長を遂げた可能性はもちろんある。ただ、じっくりと心身の進化に努めることができた大学でのキャリアは、「彼にとって良かったんじゃないか」と、小井土監督は言う。
「大学の良さは1、2年目で花が開かなくても3、4年目での成長を目指せるという猶予があるところです。日本代表選手が揃うようなフロンターレのトップチームに上がっていたら筑波大学より試合に出られない可能性が大きいでしょうし、答えを4年後に求めて長期的に取り組めた環境というのは、三笘にはメリットだったんじゃないかなと思います」
プレミアリーグ1年目の活躍は「偶然ではなく必然」
プレミアリーグで圧倒的なドリブル成功率を誇ってきた三笘へのマークは、徐々に厳しさを増している。英国中にその名を轟かせた日本人アタッカーを、ライバルクラブたちは当然放っておいてはくれない。“三笘対策”が顕著に現れ、自慢のドリブルが封じられるシーンもある。それでも小井土監督に言わせれば、それは決して「壁」ではない。
「彼の場合、順風満帆のキャリアを歩んできたわけではないですし、自分なりに考えて困難を克服していたのを見てきただけに、今はきっと目の前のハードルに対して『さぁどう越えていくかな』と考えているんじゃないかなと。三笘はとにかく準備を怠らない。プレミアリーグでの活躍ぶりは偶然ではなく必然的なものだと感じます。だからまだまだ成長途中じゃないですかね。彼の場合、これで終わりじゃないんだろうなと、見ていますね」
英国で奮闘する三笘の姿を見て、「謙虚な姿勢や『自分はこう考えてプレーしたんだ』と主張しているあたりを見ると性格的なところは変わってないなと。そこは安心して見てられますね」と言い、熱い眼差しを送る小井土監督。かつての教え子がさらに驚きをもたらしてくれると、信じて止まない。
[プロフィール]
小井土正亮/1978年4月9日生まれ、岐阜県出身。各務原高校から筑波大へ進学。蹴球部でのプレーを経て、卒業後は筑波大大学院に通いつつ水戸ホーリーホックでプレーした。現役を1年で引退し、その後は02年の大学院修士2年次より蹴球部のヘッドコーチに就任。大学院修了後は04年に柏レイソルのテクニカルスタッフ、05年から10年まで清水エスパルスのアシスタントコーチ、13年にはガンバ大阪のアシスタントコーチを歴任。14年より筑波大学体育系助教となり、蹴球部ヘッドコーチを経て、同年途中から監督に就いた。
(FOOTBALL ZONE編集部・橋本 啓 / Akira Hashimoto)