サッカーの「行き過ぎた勝利至上主義」にメリットはあるのか 育成段階で問われる柔軟な指導方針

育成段階での指導方針は柔軟な判断が求められる(写真はイメージ)【写真:Getty Images】
育成段階での指導方針は柔軟な判断が求められる(写真はイメージ)【写真:Getty Images】

【識者コラム】全柔連の英断から見える日本スポーツ界の悪弊

 全日本柔道連盟(全柔連)が「行き過ぎた勝利至上主義が散見される」と、全国小学生学年別大会の中止を決めた。それだけで全柔連が柔軟で育成指導に対する見識に長けた組織だとは言い切るのは短絡だが、少なくとも問題を直視してブレーキをかけたという点で、明らかに英断である。行き過ぎた勝利至上主義は、あらゆる競技に通底した日本の悪弊なので、小学生の全国大会が行わることを当然だと考えて来た日本スポーツ界には一石を投じた。

 本来なら「行き過ぎた勝利至上主義」は、個人競技以上に団体競技に負の影響を及ぼす。当然、勝利至上に突っ走るのは大人なので、子供たちは指導者と保護者の欲に引きずられる形で必要以上に心身を酷使させられる。日本にはオフ、練習時間、公式戦などの規定が何も整備されていないから、夏休みは格好の強化期間となり、休養不足の子供たちは発育を妨げられ、発想力、創造力を損なわれることになる。

 そもそも小学生年代でチームの優劣を競い合うメリットは少ない。例えば英国では、ジュニア年代の大会を開催したとしても、メディアが結果を載せることは禁じられているという。順位やスコアは掲載されず、個人的に誰がどんなプレーを見せたかだけを報じることができるそうだ。

 イタリアは連盟が5~16歳までの少年少女たちの活動への理念を明示している。子供たちは「スポーツを楽しみ、適切な休息を取り、自由に表現する権利を有し」「それぞれのリズムに適したトレーニングが行われるべき」だと謳っており、当然すべての指導者に厳守が義務づけられている。

 だが日本の多くの育成現場では「流した汗は裏切らない」と、量をこなすトレーニングが続けられてきた歴史があり、ボールを蹴り始めた頃は楽しくて仕方がなかったはずなのに、高校で部活を続ける頃には辟易(へきえき)して卒業とともに「引退」していく選手が少なくない。

 一方で保護者の意識も旧い殻を破れず、強いチームこそが良いトレーニングをしていると信じる傾向が根強い。そして困ったことに柔道以上に世界との厳しい競争に晒されるJFA(日本サッカー協会)は、こうした勝利至上主義を看過してきたどころか、促進しているのかと見紛う施策を続けてきた。

 現在小学生の全国大会は3つあるが、うち2つは地域予選を経たノックアウト方式なので、負ければそこで試合がなくなる。だが本当に小学生に最も適しているのは、1987年にスタートした全国少年少女草サッカー大会だろう。「全国どこからでも、どんなチームでも」「勝っても負けても最終日まで」の理念を掲げ、全チームが最終日まで同じ試合数をこなすように工夫されている。小学生時代に良い想い出を作るなら、これだけで十分だと思う。

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加部 究

かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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