「僕と妻が愛して止まない国」 C大阪伝説の元ブラジル代表GKが日本に惹かれたワケ

ジルマール(左)はブラジル代表のコーディネーターとしてドゥンガとも共闘【写真:藤原清美】
ジルマール(左)はブラジル代表のコーディネーターとしてドゥンガとも共闘【写真:藤原清美】

ブラジル人としては13人目のFIFA公認代理人として11年間奮闘

 ジルマールはその後も継続的なアドバイスはもちろん、ブラジル人選手や監督との契約などを通して長期的にサポートした。

「チームがJ1に復帰したあと、2005年のことだ。あの年、クラブの予算の問題で本当に低い金額しか提示できなかったのに、DFブルーノ・クアドロス、MFゼ・カルロス、MFファビーニョの3人が来てくれた。そして,チームは彼らとともに、J1初優勝に手が届くところ(優勝したガンバ大阪と勝ち点1差の5位)まで行ったんだ。最終節のFC東京戦、試合時間残り15秒でゴールを決められたことで、タイトルこそ逃したけどね」

 ジルマールの代理人としての手腕は、その選手に適したクラブやリーグを的確に選び、成功に導くことで際立った。

「鹿島アントラーズに行ったMFダニーロも、東京ヴェルディと浦和レッズでプレーしたFWワシントンも、日本サッカーの特徴に非常に適していた。だから、彼らがブラジルで絶好調の時期だったけど、日本のサッカーや生活について説明したんだ。そして、彼ら自身が行くと決めてくれた」

 FWアドリアーノやDFフアンといった、ブラジル代表の選手たちも手がけた。

「この仕事で最も大事なのは“信頼”だ。僕のやり方を言えば、実は僕は選手の誰とも、代理人契約を交わしていなかったんだ。その代わり、こういう同意があった。もし彼らがどこかの時点で、もう僕と一緒にやりたくないと思ったら、その時はOK、ありがとう、さようならだ。そして僕のほうも、もし選手がクラブへの尊重を欠いたり、僕が考えるなんらか大事なことに従えないなら、その選手とはもう仕事をするつもりはない、と。お互いの信頼があるからこそ、僕はその選手のためにより良いことをしようとする。忘れてはならないのが、プレーするのは選手なんだということ。だから、選手自身が自分の将来を決めるのを、サポートしたんだよ」

 その後、ジルマールはブラジル代表のコーディネーターに就任した。しかも、2014年のブラジルW杯準決勝で、ブラジルがドイツにまさかの1-7で大敗を喫した直後の、プレッシャーのかかるタイミングだった。

藤原清美

ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。

今、あなたにオススメ

トレンド