【名将秘話】オシムが“創造”を強要したワケ 「ブラボー」なアイデアを追い求めたロマンティストの実像

日本代表監督時代の知将イビチャ・オシム氏【写真:Getty Images】
日本代表監督時代の知将イビチャ・オシム氏【写真:Getty Images】

【識者コラム/vol.4】日本代表を率いた際の基本構造は2つに分類

 1990年イタリア・ワールドカップでユーゴスラビア代表をベスト8へと導いたボスニア・ヘルツェゴビナ出身の知将イビチャ・オシム氏は2003年に来日し、ジェフユナイテッド市原(現・千葉)の監督に就任。「人もボールも動くサッカー」というキーワードを掲げて05年にリーグカップを制すと、06年に日本代表監督に就任した。07年11月に病に倒れて表舞台から離れたなか、日本サッカー界に衝撃を与えた名将の当時を振り返る。

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 日本代表監督に就任後初ゲームとなった2006年8月のトリニダード・トバゴ戦、オシム監督は先発メンバーだけ発表してフォーメーションを指示しなかった。結果的に4-1-3-2のような陣形になって2-0で勝利している。

 この例外的な試合を除くと、オシム監督が率いた日本代表の型は2つあった。もしかしたら初戦も例外ではなく形は1つかもしれず、あるいは指揮した試合の数に等しい20だったかもしれないが、ここではとりあえず2つに分類する。

 2つの基本構造は同じだ。システムは4-4-2(4-2-3-1を含む)。これを2つに分けるのは、MF中央の2人のうち1人を誰にするか。具体的には阿部勇樹か中村憲剛かである。それだけだと大きな違いはないようだが、この1つのポジションの人選によってチームはがらりと印象が変わる。

 鈴木啓太とボランチを組む時の阿部はセンターバック兼任だった。相手が2トップの場合にマークにつく。1トップなら中盤にとどまる。

 一方、中村憲剛に相手のFWをマークするタスクはなく、むしろ攻撃的にプレーした。2007年のアジアカップはこちらの方式だ。

 前者はジェフユナイテッド千葉を率いた時のやり方に近く、守備はマンツーマンでつかまえて1人余る方式。後者も人への意識は高めながら、ゾーンディフェンスである。さらに大きく違うのが攻撃だった。

「エクストラキッカーは1人か2人」

 オシム監督は常々そう語っていた。ところが、アジアカップでは中村俊輔、遠藤保仁、中村憲剛の3人を同時起用した。

「最初から2人は使うつもりだった」

 のちにオシムはそう話している。中村俊と遠藤を併用していたので2人を使うことまではわかっていたが、まさか3人とは思わなかった。「1人か2人」と言っておきながら最低でも2人、可能なら3人起用するつもりだったわけだ。

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西部謙司

にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。

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