韓国に国立で悪夢の逆転負け 歴史が証明する日韓戦“敗戦”と指揮官の進退問題

中田英寿らを擁した日本の中盤を警戒した韓国は、序盤から徹底的に抑えにきた【写真:Getty Images】
中田英寿らを擁した日本の中盤を警戒した韓国は、序盤から徹底的に抑えにきた【写真:Getty Images】

【識者が選ぶ日韓戦“三番勝負”】1997年9月28日:フランスW杯アジア最終予選第3戦「日本 1-2 韓国」

「ドーハの悲劇」で1994年アメリカ・ワールドカップ(W杯)への出場を逃した日本にとって、4年後のフランス大会予選は失敗の許されないチャレンジとなった。日本は2002年に自国でのW杯開催を控えており、それまで開催国枠で初出場を果たしたケースはなかった。

 5カ国ずつを2つのグループに分けたアジア最終予選で、無条件に出場権を得るのは1位のみで、2位はプレーオフに回る。日本は初戦でウズベキスタンをホームで6-3と下すと、アウェーのUAE戦を0-0で引き分けて、3戦目にライバルの韓国をホームに迎えた。

 最初の2試合を3バックで戦った日本代表の加茂周監督は、韓国戦で4-4-2を選択。三浦知良(カズ)のパートナーには、日本国籍を取得したばかりの呂比須ワグナーを初抜擢した。一方、4大会連続出場を目指す韓国のチャ・ボムグン監督は「日本の特徴はMF。そこを抑えてFWへのパスを分断する」ために、チャンスを創出する中田英寿、名波浩、さらには2トップにマンマークをつけ、最後尾にリベロのホン・ミョンボを余らせる3バックで臨んできた。

 拮抗した前半をスコアレスで折り返すと、ゲームは少しずつ動き始める。後半10分、日本は左サイドバック(SB)の相馬直樹が対面する相手をかわして内側へドリブルで運び、外でフリーの名波へ。カズに合わせようとした名波のクロスは相手DFに当たり、相馬の前に広がるスペースへとこぼれた。フリーで拾った相馬は、左足で逆サイドのゴールネットを狙う。もはや韓国のGKキム・ビョンジは見送るしかなかった。ところが完全にゴールを陥れたかに見えた相馬のシュートは、ポストに跳ね返される。日本は最初の決定機を逃した。

 また韓国も、中盤から右サイドのコ・ジョンウンへ展開したイ・サンユンが、そのままゴール前へ走り込みフリーでヘッド。川口能活が辛うじてセーブしてCKに逃れる。

 互いにビッグチャンスに繋がる攻防が繰り広げられ、均衡を破ったのは日本だった。

 後半22分、韓国のバイタルエリアでコ・ジョンウンのミスを逃さず、ボランチの山口素弘がインターセプト。韓国のセンターバック(CB)2人が日本の2トップに引っ張られているのを見て取ると、そのまま中央をドリブルで進む。ショートカウンター気味の攻撃を受けてGKキム・ビョンジも中途半端なポジションに飛び出しており、それを見極めた山口は冷静に山なりのループを韓国ゴールに送り込んだ。

 満員の国立が大歓声で沸く。だが日本先制の流れは、逆にその後の暗転を呼び込む契機となった。

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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近東京五輪からプラチナ世代まで約半世紀の歴史群像劇49編を収めた『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』(カンゼン)を上梓。『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(ともにカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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