「この仕事がめちゃくちゃ好き」 日本人“ホペイロ”の挑戦、単身ドイツで切り拓いた道
【“ホペイロ”神原健太インタビュー|第2回】ドイツに渡って半年で起こしたアクション
人は確かな自分の居場所を見つけることができたら、そこにずっといたくなる。周りから仕事ぶりを認めてもらえたらうれしいし、ストレスの少ない毎日は居心地いい。でもどこかでこのままでいいのかな?と思う時もくるかもしれない。野心や向上心がざわめいて、自分はもっといろんなことができるかもしれないと動き出したくなる時がくるかもしれない。人が今以上の自分になるためには、どこかで快適な環境から飛び出す勇気も間違いなく必要になる。
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ブンデスリーガ3部のドレスデンでホペイロを務める神原健太には、いつでも胸の中に熱い思いがあった。そもそもチームをサポートする側になろうと思ったのは大学時代だという。筑波大学体育専門学部に入学後、当初はアスレティックトレーナーにも興味を抱いていた神原だが、関東大学サッカー連盟でリーグ運営のスタッフを経験したことが一つのきっかけになったそうだ。
「関東大学サッカー連盟ではリーグを運営する学生スタッフを各大学から出さなきゃいけないんですけど、それを僕がやることになりました。そのなかで関東選抜の主務をやる機会があって、そこでチームについて選手をサポートする仕事ってやりがいがあるだろうなという思いが強くなったと思いますね。気がついたら、ホペイロの仕事をやりたいとなってましたね」
好奇心が強く、チャレンジ精神が旺盛なのかもしれない。気持ちが動き出すと、すぐに行動へと移していく。大学卒業後にはJ2のFC岐阜などでホペイロを務め、さらに大きな挑戦を求めて今度は海外をイメージするようになった。
行き先に選んだのはドイツ。最初はイングランドのプレミアリーグが頭に浮かんだが、調べてみたら就労ビザ取得問題がネックになりそうだ。ドイツのケルン体育大学にも興味があったので、ホペイロとしての道を模索しながら、同時に体育大学に通うという選択肢も視野に入れつつ渡独をすることになった。
「最初はマインツに3カ月半ほどいました。FCバサラマインツという元日本代表の岡崎慎司さんが代表で、その岡崎さんの高校時代の先輩・山下喬さんが監督を務めるクラブでインターンとして手伝いをさせてもらいながら、午前中は語学学校に通ってましたね」
半年近く経った頃、語学学校で履歴書の書き方を学んだ。ふと、何かアクションを起こしてみようかなと閃いた神原は、直接クラブに履歴書を送ってみることを思いついたという。
中野吉之伴
なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)所得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなサッカークラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国への現地取材を精力的に行っている。著書『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。