「学校の先生」と「指導者」の両立は限界 部活での暴力行為が絶えない日本の現状
【識者コラム】時代が変わっても旧態依然な指導現場、部活は“治外法権”になりがち
前世紀に「東京五輪音頭」をヒットさせた三波春夫さんは「お客様は神様です」という名言を残した。実際、東京五輪招致の際にもアピール材料になったように、日本の「おもてなし」には定評があった。商品を購入した客に対し、丁寧に手を添えて釣り銭を渡す姿勢に、日本を訪れた外国人たちは感銘を受けていた。海の外では、釣り銭と言えば放り出すように返してくるのが通り相場だったからだ。
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一方で極端な居丈高がまかり通る職業もあり、警察官や教習所の教官、タクシードライバーなどが代表的だった。警察官はともかく、教習所やタクシーは金を払う側が怒鳴られることもあり悪評が高かった。逆にタクシーに関しては、海外のほうが必ずトランクを運んでくれるなどサービスが行き届いていた。
しかしさすがに昭和のうちに、教官もタクシードライバーも接客マナーを徹底され変わった。また、今では横柄な警察官に遭遇することもない。
ところが残念ながら学校をはじめとするスポーツの現場だけは、依然として時代に取り残されている。これだけパワハラ問題がクローズアップされても、とりわけ高校生以下の指導現場では、監督やコーチの暴力行為が次々に明るみになる。
もちろん、学校側も生徒や保護者への対応には気を遣うようになったが、部活は治外法権になりがちだ。結果を出し「名将」と呼ばれる先生には誰も口出しができない。一方で強豪校には優秀な選手たちが集まってきて、部の伝統もでき上がっているので成績が急落することもない。トレーニング方法も含めて「旧態依然」が貫かれる理由である。
ただし上意下達が当然の流れとして定着している日本の指導者は、国際的な見地に立てば非常に甘やかされている。海外の青少年の指導経験を持つコーチは、異口同音に言う。
「日本では、コーチが何かをやれ、と指示すれば子供たちは黙って従う。でも外国では、子供たちが逐一トレーニングの目的や効果を聞き、納得できなければ帰ってしまう」
海外の指導者は、日々選手たちを成長させるために、トレーニング方法を改善し説明して実践に導いている。だが大量の部員を抱えた日本の部活では、そこが省略され頭ごなしの一方通行で済んでしまう。これでは選手はもちろん、指導者のほうにも進化の可能性が見えてこない。
加部 究
かべ・きわむ/1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。