“天才”たちの趣深いキャリア晩年 「階段を一段降りて」魅せる、色褪せない才能

レアルの英雄ディ・ステファノはエスパニョールで元ライバルと共闘

 ヨハン・クライフもバルセロナから北米サッカーリーグへ渡ってから、母国オランダの古巣アヤックスに戻っている。40歳近かったが、素晴らしいプレーの数々を披露した。しかもフロントと対立した挙句にライバルのフェイエノールトへ移籍し、リーグ優勝させてから引退というのがクライフらしい。

 レアルの「専制君主」として長年プレーしたアルフレッド・ディ・ステファノは、フロント入りを勧める会長との交渉が決裂して、エスパニョールに移籍した。レアルの名誉会長になった人なので、レアルの印象が強いのだが、最後の2シーズンはエスパニョールだったのだ。

 エスパニョールでは、かつてのライバルでバルセロナのエースだったラディスラオ・クバラとコンビを組んだ。ハンガリーから亡命したクバラは、当初レアルと契約するはずだったが、列車が着いたらなぜかバルセロナだったという逸話が残っている。逆にディ・ステファノは契約するつもりでバルセロナまで来ていたのだが、レアルが割り込んできて収拾がつかなくなり、最終的にレアルの選手となった。もしかしたらプレーするクラブが逆だったかもしれない1950年代のスーパースター2人が、キャリアの最後に同じチームというのも不思議なものだ。リーグ戦の最初の対戦で、レアルをやっつけてリベンジを果たしている。

 ピークのまま引退する名選手はわずかで、むしろその才能ゆえに長くプレーする。神戸で昨季限りで引退したダビド・ビジャは「フットボールに追い抜かれる前に」というようなことを言ったが、なかなかフットボールに追い抜かれない選手たちの晩年も、なかなか趣深いものがある。

(西部謙司 / Kenji Nishibe)



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西部謙司

にしべ・けんじ/1962年生まれ、東京都出身。サッカー専門誌の編集記者を経て、2002年からフリーランスとして活動。1995年から98年までパリに在住し、欧州サッカーを中心に取材した。戦術分析に定評があり、『サッカー日本代表戦術アナライズ』(カンゼン)、『戦術リストランテ』(ソル・メディア)など著書多数。またJリーグでは長年ジェフユナイテッド千葉を追っており、ウェブマガジン『犬の生活SUPER』(https://www.targma.jp/nishibemag/)を配信している。

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