「昔はパサー」 日本代表MF伊藤達哉、ドリブラー開眼の転機と“対戦してみたい選手”

ハンブルガーSVのMF伊藤達哉【写真:Getty Images】
ハンブルガーSVのMF伊藤達哉【写真:Getty Images】

柏ユース時代はパサーも、サイド転向でサッカー観が変化「ドリブルで抜けないとダメ」

 ハンブルガーSVのMF伊藤達哉は、柏レイソルの下部組織から直接ドイツへ渡り、2017年にブンデスリーガデビュー。18年には元日本代表FW宮市亮(ザンクト・パウリ)以来となるJリーグ未経験でのA代表選出も果たした。海外で戦う俊英アタッカーの最大の武器がドリブルだ。スピードに乗り、屈強な大男たちを抜き去る姿は実に痛快だが、「昔はパサーのポジションをやっていた」なかで、ドリブラーとして目覚めたきっかけとは――。

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 4歳の時に日韓ワールドカップでサッカーの虜となった伊藤。小さい頃から周囲に比べて素早さは群を抜き、「鬼ごっこをしても最後まで捕まらなかった」という。小学4年生の頃から所属した柏の下部組織は、ポゼッション主体のパスサッカーで有名。かつては中盤センターで「パサーのポジションをやっていた」が、サイドハーフ転向を機にサッカー観が変わったという。

「サイドハーフになってからドリブルで抜けないとダメだと感じました。それからチーム練習後は、スタジアム裏にある野球場で1対1ばかりやっていましたね。チームメートを1人、2人捕まえて、ひたすら2時間とかを、毎日365日(笑)。(柏ユース時代の)監督たちから『パスの練習もしろ!』と言われたんですけど、頑なにドリブルの練習をしていたので、当時の僕は可愛くはなかったと思います(笑)」

 ドリブルのコツは「何も考えない」という感覚だと話す。もちろん、どうやって抜くかという思考は巡らせるが、「もう何回もやってきたことなので、今さら考える必要もないし、体が勝手に動く」というのが真意だという。

「相手の足とか、動きは見ているようで見ていないですね。僕は自分のやりたい形で抜いているので、本当に自分次第。良い時なら敵が誰だろうと抜けるし、悪い時は誰だろうと抜けない。2018-19シーズンは考えすぎてしまって、終始良くなかった感じでした。

 何か考えている時はあまり調子が良くありません。サッカーは何秒、ゼロコンマ何秒で勝負が決まる世界だと思うので、考えた時点でもう後れを取っている。僕のなかでは、駆け引きというよりは、こうしたら相手がこう動くという方程式みたいのが何個かある。自信を持って、本能的に、感覚でやれている時は何をしても抜けます」

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