「らしくいられるために」 玉田圭司がC大阪移籍を決断した理由

ピクシーの言葉


 玉田を覚醒させた、ストイコビッチの言葉がある。08年に指揮官に就任すると、シーズン開幕前のある練習後、前年までくすぶっていた玉田を呼び寄せた。ひざをつき合わせて座ると、こう語りかけたのだ。
「私は、誰よりもおまえがJリーグで もナンバーワンの能力を持っている選手だと信じている」
 この言葉は、数年経った今でも玉田の胸の深いところで響く。今回、名古屋を退団するにあたって、ピクシーからまた新たなメッセージが届いた。
「『おまえはやんちゃだったけど、そこが俺に似ている』って(笑)。確かにミスターとも結構ぶつかったこともある。でもミスターにも考えがあった。お互い認め合っているからこそ、意見も言い合えた。必要とされることのありがたさを常に感じながらプレーできていた。今回も『まだまだ絶対活躍できる。頑張ってほしい』とも言ってくれた。きっとミスターは、誰よりも俺のテクニックを高く評価してくれているから、常にそんな言葉をかけてくれるのだと思う。そして、テクニックに年齢 は関係ないということを誰よりも理解している。もちろん、俺もそう思っているから」
 そして、玉田がセレッソ大阪に加入することが発表された。「国内でも海外でも、自分が必要とされるところならどこでも行く」と話していたが、今季1年でJ1復帰を目指す桜の集団で、玉田もチームとともに再起をかける。
 今年で齢35を迎える彼にとっての、自分らしさとは。それは、昨季悔しい立場を味わった中で見せた振る舞いに、一つのヒントが隠されていた。
「周りの選手に自分の感覚をいろいろ伝えていく。前まではこんなことはあまりしなかった。メンバーを外されて、昔だったら『ふざけるな!』で終わっているところだけど、そこでもう一回味方と信頼関係をつくっていった自分がいた。負 けたくなかったから、自分のやり方を周りに伝えていった。ふざけるなという気持ちは変わらない。でもその中でもやれることはあった。こういう表現方法は、今になってできるもの。だから新しいチームでも、若い選手に影響を与えたい」
 カフェを出る際、店内にいた人たちから声を掛けられ、写真撮影に応じた。W杯でブラジル相手にゴールを奪ったFWである。どこに行っても、その甘いマスクとともに名前を知られる存在。それは名古屋でも東京でも、そして新天地の大阪に行っても変わらないだろう。
 だからこそ、期待される“玉田圭司”であり続けたい。
「もう一度、俺を見てほしい。もう一度、強いインパクトを与えたい」
 とがったり、意地を張っているのではない。誰にも 劣らない、技術と経験。その両方に裏打ちされた、確かな自信が今の玉田からみなぎっていた。
(1月24日発売のサッカーマガジンZONEで掲載)

◇プロフィール
玉田圭司(たまだ・けいじ)
1980年4月11日、千葉県生まれ。習志野高から99年に柏に加入。2006年に移籍した名古屋で、10年に13得点を挙げてクラブのJ1初優勝に貢献。15年からJ2セレッソ大阪でプレーする。日本代表として06年ドイツ、10年南アフリカと2大会連続でワールドカップに出場。国際Aマッチ通算72試合16得点。J1通算342試合96得点。
【了】
西川結城●文 text by Yuki Nishikawa
ゲッティイメージズ●写真 photo by Getty Images

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