北朝鮮代表の戦友と「連絡取る手段ない」 鄭大世が明かす特殊な実態…指導者で抱く夢は「W杯出場」

外国在住指導者の招聘実績がある北朝鮮代表
今年8月よりY.S.C.C.横浜のコーチを務めている鄭大世氏は、指導者の立場から母国・北朝鮮代表としてW杯出場を夢見ている。その背景にあるのは、現役引退後に痛感した最高峰の国際大会に出たというステータスと関係者らへの感謝。夢の実現へ、日本在住者が監督に招聘される可能性はあるのか。(取材・文=元川悦子/全5回の4回目)
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「将来的に北朝鮮代表としてワールドカップ(W杯)に出場したい」
これは2010年南アフリカW杯に出場した元北朝鮮代表選手で、8月から指導者キャリアを踏み出した鄭大世が掲げる大きな夢である。
とはいえ、北朝鮮代表というのは秘密のベールに包まれたチームだ。歴史を振り返ると、W杯は1966年イングランド大会に初参戦し、いきなりアジア勢初のベスト8入り。世界を驚かせた。そこから44年後の2010年に2度目の出場を果たしたが、その後は予選敗退や途中棄権が続いている。
直近だと北中米W杯アジア2次予選で日本と同組になったが、その時は2024年3月のピョンヤンでのアウェー戦をいきなり中止にするなど、最終予選進出を叶えられなかった。
今年のアジア大会には男女ともに代表チームを派遣。女子は圧倒的な強さを見せているものの、国情によって代表の立場が揺れ動いているように見えるのは確かだ。
とはいえ、代表チームでの生活は我々日本人が考えるような規律ばかりに縛られたものではないという。鄭大世は活動していた当時の状況をこのように明かした。
「僕が北朝鮮代表に入っていたのは2007~11年。活動があるときはピョンヤンへ行っていましたけど、選手村のようなところにある練習場と市内にあるホテルとスタジアムの往復だけでした。外に出て町の観光をするようなことは一切なかったですね。
他のメンバーとはピッチ外の話はほとんどしなかった。喋っても趣味の話くらいで、彼らがどういう育成過程を経て代表まで上り詰めてきたのかも聞いたことがほぼないです。
当時は先輩の安英学さん(立正大学コーチ)もいましたし、同い年の梁勇基(仙台クラブコーディネーター)も代表入りしていたので、僕としては同じような立場たちとコミュニケーションを取ることができた。それに朝鮮総連やサッカー協会がバックアップしてくれたので、関係性ができている状態で参加できた。そういう部分も大きかったかなと思います」
昨今は日本サッカー協会(JFA)も海外生まれの選手を日本代表候補としてリクルートするようになったが、北朝鮮は在日朝鮮人に対していち早くそういう活動をしていたということなのだろう。となれば、選手だけでなく、監督も日本在住者から選ぶという流れができてもおかしくはない。
実際、1993~94年にかけてはハンガリー人のチェルナイ・パール監督が就任。2016~18年にかけてはノルウェー人のヨルン・アンデルセン監督も指揮を執っており、外国在住指導者の招聘について前例がないわけではない。在日となると少し難易度は上がるのかもしれないが、前回も少し触れた通り、Jリーグ指導経験者を代表チームに加える話も出ている様子で、鄭大世の未来も明るくないわけではないのだ。
北朝鮮という国の特殊事情もあり、当時の代表メンバーとコンタクトを取ったりすることはないようだ。それでも、今も同国サッカー界に関わっている仲間は数多くいるだろうし、そういう人材と鄭大世が密に情報交換をして、北朝鮮サッカーのレベルアップの方策を議論し合うような形に持っていければ、より前向きな方向に進むだろう。
「彼らとはその後、全然連絡を取っていないっていうか、取る手段もないのですが、2024年3月に東京で試合をした時、僕も解説の仕事で(MUFG)スタジアムに行っていて、昔の選手と久しぶりに顔を合わせました。自分が2010年W杯に出た時の団長はそのまま残っていましたし、当時のセンターバックがコーチだったので。挨拶しましたけど、すごく懐かしかったですね」
そういう人間関係を大事にしながら、北朝鮮サッカーの成長を促し、再びW杯のような国際舞台に出られるように働きかけていくことができれば、鄭大世にとっては一番いいはずだ。
「引退後にメディアの仕事をしながら痛感するのは、W杯出場という経歴の影響の大きさです。現役を退いた後、改めて代表の選手や関係者、在日朝鮮蹴球協会への感謝の思いがより一層、強まりました」
北中米W杯ではアメリカのドナルド・トランプ大統領とFIFAのジャンニ・インファンティーノ会長の癒着が問題視されたが、本来、スポーツと政治は別物。鄭大世のような人材が北朝鮮代表チームにスムーズに関われる環境が生まれることを切に祈りたいものである。(文中敬称略、第5回に続く)
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)

元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。
























