ほろ苦代表デビューに「それがよかった」 守備の要へと成長した26歳DF…下積み時代に芽生えた“使命感”

瀬古歩夢のグラスホッパー在籍時を振り返る
9月のウルグアイ戦、そしてベネズエラ戦で、日本代表の最終ラインに入った瀬古歩夢は、攻守両面で存在感を示した。身体を張って相手の攻撃を何度も食い止めながら、ボールを持てば落ち着いて味方につなぐ。特に攻撃の起点となる好フィードには注目が集まった。
2季目を迎えるフランス・リーグアンのル・アーブルでレギュラーとしてプレー。パフォーマンスは高い水準で安定してきている。その土台となったのはスイスで過ごした下積み時間だったに違いない。
2022年1月、セレッソ大阪からスイスリーグ1部のグラスホッパーへ移籍。チューリッヒ郊外にあるクラブオフィスでインタビューさせてもらったときに、日本とは異なる守備環境を求めての挑戦だったと理由を語っていた。
「正直に言うと、身体能力の差はありますね。足のリーチであったり、爆発的に初速が速い選手がいる。日本では守れていた部分も、リーチが長いからというのをすごく感じています。あとやっぱり球際のところでの激しさがありますね。今のサッカーはフィジカル、スピードが大事。日本とまた違ったサッカーを自分の頭に入れ込めば、これから先、何があっても対応できるようになると思うんです」
自身のさらなる成長のためにスイスへ渡った瀬古には、ステップアップのイメージもいろいろとあったことだろう。特に当時のグラスホッパーは、プレミアリーグのウォルバーハンプトン・ワンダラーズ(ウルブス)とパートナー関係。瀬古も「最終的にプレミアでやりたいというのは目標でもある。ウルブスがあるというのは大きかった」と将来への思いを語っていた。
すぐにグラスホッパーでレギュラーポジションを獲得すると、着実に経験を積み、23年3月24日のキリンチャレンジカップのウルグアイ戦で日本代表デビューを果たす。ただ一対一で相手を潰すことを意識しすぎ、普段の自分のプレーができず、失点にも絡んでと、ほろ苦のデビュー戦に。
「それがよかった」と、瀬古が後に振り返っていたのが印象的だ。
「デビュー戦ということもあって、考えすぎて、いつも通りの自分のプレーができなかった。頭を使ってずるがしこく、自分よりでかい相手選手に対してやれなかったっていう心残りはあります。デビュー戦でああいう大舞台でああいう失点にも絡んだ。だからよかったかなと思います。いろんな人に見られているなかでああいう失点に絡んだプレーをしてしまったので、また自分自身を大きく成長させようと思いました」
周囲の評価やポジション争いに必要以上に振り回されないことは、瀬古が大切にしていることだ。
「マイペースなんで。意識しすぎちゃうとたぶん良くないと思っていた。もちろん少しは焦らないといけないっていうのは分かっているんですけど。そこは自分でコントロールしながら、自分のペースでやっていけたらいいと思っています。ずっと焦ってやっていたら、なんか私生活まで焦っちゃいそうじゃないですか」
当時のグラスホッパーは、ウルブスからレンタルで加入していた川辺駿(現サンフレッチェ広島)らの活躍もあり、一時はヨーロッパカップ戦出場を狙える位置にもつけていた。だが2023-24シーズンに川辺ら主力選手の多くがクラブを去り、さらにウルブスとの提携が24年1月に終了。
瀬古にとっては、「自分のペース」を保つことが難しくなった時期だった。コンディションが上がらず、出場機会を失う試合もあった。瀬古自身も「自分自身のメンタルの部分がやっぱり大きな問題」と振り返っている。
川辺のほか、原輝綺(現名古屋グランパス)と、それまで身近にいた日本人選手がチームを離れ、1人になったことも影響していた。
「その辺の寂しさはやっぱり感じました。海外生活初めての時はやっぱり駿くん(川辺)がいたんで。どれだけ助けられていたかっていうのも実感していた。その部分はやはり大きかった部分かなと思います。急に1人になったっていうのはちょっと自分のなかにあった」
それでもそこでつぶれずに、瀬古は自分のペースを取り戻していった。特別な方法があったわけではない。時間をかけて自分と向き合い、サッカーに真剣に取り組む。語学を勉強し、チームメイトとの関係を築く。そうやって1人で海外生活を送ることそのものに、少しずつ適応していった。
ちょうどその時期、長く欧州でプレーした長谷部誠や岡崎慎司が現役生活に別れを告げたころだった。2人について聞くと、瀬古は即答で「もう単純にリスペクトですよね」と話していたのを思い出す。
「長くこっちで生活するっていうのはやっぱり簡単じゃない。長谷部さんも岡崎さんも家族がいるなか、こっちでやるってことは非常に大変だと思う。こっちで生活して厳しさが分かるのでやっぱ、すごいなと思います」
瀬古も、そんな先人たちのように海外で長く生活し、プレーする厳しさを乗り越えて、自身の殻をちょっとずつ破っていったのだろう。それこそ23-24、24-25シーズンのグラスホッパーは残留争いに苦しみ、「いいサッカー」をする余裕もない緊張感のある状態だった。取材に行っても広報からコメントNGとなった試合もあった。
そうしたチーム事情だと、武器の1つであるフィードボールを蹴ろうにも、受け手の動きがなければ、それを要求する指示もない。もっとできるはずなのに、それを出せないもどかしさもあったはずだ。それでも瀬古は黙々と自分のやるべきプレーに取り組み続けていった。
どんな経験も自分の力にしようとする姿勢が瀬古にはある。チーム事情によってアンカーで起用されたこともそうだ。物事の見方そのものが変わっていったと明かしてくれたことがある。
「いま、新しい景色を見させてもらっている。後ろに帰ったときにまた見える景色が違う。また考えるところが増えるかなっていう。やってみてよかったなと思います」
この経験は、ル・アーブルでアンカーを任された際にも生きた。スイスリーグ時代に自分と向き合い続けた時間が、フランスでの新たな挑戦につながり、そして日本代表で存在感を高めている瀬古歩夢の現在を形作っている。
「自分たちが日本サッカーの未来を変えていかないといけないと思っている。難しい道ですけど、そのためにやれることをやっていきたいです」
23年にグラスホッパーで話を聞いた時、瀬古はそう言い切っていた。どれだけ舞台が大きくなっても、大切にしているものはこれからも変わらない。
(中野吉之伴 / Kichinosuke Nakano)

中野吉之伴
なかの・きちのすけ/1977年生まれ。ドイツ・フライブルク在住のサッカー育成指導者。グラスルーツの育成エキスパートになるべく渡独し、ドイツサッカー協会公認A級ライセンス(UEFA-Aレベル)取得。SCフライブルクU-15で研修を積み、地域に密着したドイツのさまざまなクラブで20年以上の育成・指導者キャリアを持つ。育成・指導者関連の記事を多数執筆するほか、ブンデスリーガをはじめ周辺諸国で精力的に取材。著書に『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』(ナツメ社)、『世界王者ドイツ年代別トレーニングの教科書』(カンゼン)。
















