1-3→4-3の大逆転「エキサイティングな試合」 決勝点は59歳カズの“先生”「何でも知っている」

カズは4試合ぶりにベンチ入りも出番はなかった
J3福島ユナイテッドがエキサイティングな試合で今季2勝目をあげた。ホームのとうスタにAC長野パルセイロを迎えた26日の第8節、終盤まで1-3とリードを許しながら後半33分からの3ゴールで4-3と逆転勝ち。チームが標榜する超攻撃的サッカーで、勝ち点を7とした。還暦まであと5か月の59歳FWカズ(三浦知良)はリーグ戦4試合ぶりにベンチ入りしたが、出番はなかった。
壮絶な試合だった。前半6分に長野DF行徳瑛に先制点を許したが、同34分には前節まで7試合5得点のFW岡田優希がDF佐々木奈琉からの折り返しに合わせて同点。しかし、後半開始直後に再びリードを奪われると同11分には3点目を決められた。前節のFC大阪戦は1-2からさらに2点を奪われ1-4の完敗。嫌なムードが流れたが、選手たちは諦めていなかった。
相手のハイプレスに自慢のショートパスが分断されていた福島だが、2点のリードを許した後は徐々にペースをつかむ。33分には交代ボードに背番号9が出たFW清水一雅がラストプレーのCKから頭で追撃ゴール、6分後には清水に代わったMF泉彩稀がゴール前のこぼれ球を冷静に決めて追いついた。
スタンドの歓声に押されて攻め続ける福島はアディショナルタイム突入直前に岡田がエリア外から右足でシュート。相手DFに当たったボールは、GKの逆をついて決勝点となった。劇的な展開に寺田周平監督も「清水選手が交代直前に決めてくれてスイッチが入った。最後まで心折れずに勝ちを目指した結果。エキサイティングな試合でした」と振り返った。
8試合7ゴールで得点ランクトップタイの岡田は「決勝点は僕だけのゴールではなく、みんなが引き寄せてくれた得点」と興奮気味に話した。ゴール直後には両手を高々と上げてベンチを飛び出したカズと抱き合って喜びを爆発させた。
30歳の岡田は、59歳のカズの「先生」でもあるという。分からないことや疑問は今年初めの同時期に福島入りした岡田に聞くという。「岡田はすごいよ。何でも知っているし、何でも応えてくれる」と周囲に話している。この日もカズは「僕の左隣が定位置。食事のときとか、いつもいろいろな話をしている」と信頼を寄せる岡田について話した。
福島のサッカーについて、福島という町についてはもちろんだが「何でも話をする」とカズ。「代表の試合があれば代表の話、ブラジルが試合をすればブラジルの話、もちろんJリーグの話も。昔のサッカーから現代のサッカーまで、岡(田)と話していると、あっという間に時間がたつ」と明かした。
今季好調な岡田についても「常に考えながらプレーをしている。試合を想定して練習しているから、やった通りのことが試合でできる」と評し「考えてプレーしているからボールをとらえるのもうまい。シュートを打つ時にバランスを崩しているのを見たことがない」とストライカーの視点で話した。
もちろん、岡田は「先生」を全否定する。「カズさんは師ですよ、師。僕は弟子のつもりです」と強調。「プレーはもちろん、普段の振る舞いとかサッカーへの向き合い方とか、そういうことを吸収したいと思っているので。お金を払ってもできない経験ですから」。
カズの存在が、自身とチームの大きな力になっているとも言う。「ゴールすれば、すごく喜んでくれるし、ちょっとした声掛けが励みになる。プレーももちろんですが、カズさんの生き様がチームの原動力になっています」と話した。
「先生」でもあり「弟子」でもある岡田の活躍で手にした劇的勝利に、カズは「いつも通り苦しかったけれど、諦めずに最後逆転したのは素晴らしい」と喜んだ。もっとも、一喜一憂することはない。「ロッカーでみんなも話していたけれど、失点が多すぎる。こういう試合が続くわけはないし、いかに最少失点に抑えるかが大事」と冷静に話した。
8試合で20失点はJ3ワースト。異なる5つのチームを昇格に導いた長野の小林伸二監督は「攻撃の幅が広く、2点ぐらいのビハインドは跳ね返すチーム。今は失点が多いけれど、勝つことで減っていくもの」と福島のサッカーを評した。百年構想リーグの終盤、勝利を重ねて失点が減っていったように、リーグ戦でも失点を減らせるのか。そこが、昇格へのカギになる。
勝ち点7で16位と上位には遠いが、まだシーズンは長い。この日の勝利がきっかけとなる可能性もある。29日のルヴァン杯水戸戦をはさみ、次節は首位鹿児島との「今後を占う大事な試合」(岡田)。福島の挑戦は続く。
(荻島弘一/ Hirokazu Ogishima)
荻島弘一
おぎしま・ひろかず/1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者として五輪競技を担当。サッカーは日本リーグ時代からJリーグ発足、日本代表などを取材する。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰。20年に同新聞社を退社。


















