「お前ら本気でサッカーやってんのか」 就任半年で高校日本一…監督初挑戦のW杯戦士が伝えたこと

玉田圭司氏が昌平高を率いた1年を振り返った【写真:近藤俊哉】
玉田圭司氏が昌平高を率いた1年を振り返った【写真:近藤俊哉】

連載「青の魂、次代に繋ぐバトン」:玉田圭司(名古屋グランパスコーチ)第5回

 日本サッカーは1990年代にJリーグ創設、ワールドカップ(W杯)初出場と歴史的な転換点を迎え、飛躍的な進化の道を歩んできた。その戦いのなかでは数多くの日の丸戦士が躍動。一時代を築いた彼らは今、各地で若き才能へ“青のバトン”を繋いでいる。指導者として、育成年代に携わる一員として、歴代の日本代表選手たちが次代へ託すそれぞれの想いとは――。

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 FOOTBALL ZONEのインタビュー連載「青の魂、次代に繋ぐバトン」。指導者の道に進んだ玉田圭司が、最初に率いたチームは高校サッカーの強豪・昌平高だった。選手目線でコミュニケーションを取りながら、トップレベルで活躍したプロ目線の経験を伝えていく。そして監督就任から半年後の全国高校総体(インターハイ)でチーム史上初の優勝。その濃密な経験は、名古屋グランパスのコーチとなった今も指導者の原点として息づいている。(取材・文=二宮寿朗/全5回の5回目)

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 日本代表としてW杯に2度出場した玉田圭司が、埼玉の強豪校・昌平高で指導者キャリアをスタートさせたことは大きなトピックになった。

 2021年シーズン限りで現役を引退した後は、V・ファーレン長崎のアンバサダーを務めてスクール活動なども行っていたが、昌平高は藤島崇之監督をはじめ習志野高時代の同期が多くいた縁もあって、2023年4月に同校のスペシャルコーチに就任する。高校生からすれば、雲の上の存在。最初は距離を感じたという。

「挨拶した時に『オープンだから何でも聞いてきてほしい、経験や考えを伝えたい』とみんなに言ったけど、案の上、誰も来ない(笑)。そうなった時に待つスタンスじゃなくて、自分から行くようにしました。一人ひとりの名前をきちんと覚えて、『ちょっと話そうよ』って。コミュニケーションを取ると、それぞれのキャラクターも分かるじゃないですか。それだけでも楽しかったですよ」

 コミュニケーションを図って、ピッチでは一緒にボールを蹴って。デモンストレーションだけでなく、選手目線で分かりやすく、伝わりやすくを心掛けた。サッカーはチームの決まりごとをこなしつつ、楽しんでやるものだと自分の考えがきちんと伝わっていた。1年間、スペシャルコーチを務めたのち、監督就任を打診された。付きっきりの指導になるため家族の理解が必要だったが、賛同してくれた。何より教えてきた生徒たちと一緒にサッカーをやりたいという衝動が大きくなっていた。

 就任半年後に、夏のインターハイがやってくる。

 尽誠学園(香川)との1回戦を2-1で勝利すると、2回戦は帝京安積(福島)に4-0と快勝。ベスト16は福岡大若葉(福岡)に2-0と、2試合続けてのクリーンシートで8強に進出する。

「まず初戦で昌平は圧倒して勝つだろうっていうふうに見られていたんだけど、苦戦して勝てた。それが一番大きかったかもしれません。全国なんて楽勝じゃんって、もし選手たちが感じていたら、どこかでころっと負けていたと思います」

 準々決勝の相手は神奈川の強豪、桐光学園。0-2でリードされる苦しい展開となり、ハーフタイムでは「お前ら本気でサッカーやってんのか」「リスクを冒せ」とハッパをかけて送り出した。目の色を変えた選手たちが躍動し、2点を奪って同点に追いついてPK戦を制した。

「自分の言葉が響いたかどうかは分からないけど、あれほど試合に勝ちたいって思ったことって自分のキャリアを振り返っても一番だったんじゃないですかね。みんな本当によくやったと思います。ここを突破できたことで絶対(優勝まで)行けると思いました。後からなら何でも言えるだろうと思われるかもしれませんが、本当にそう思ったんです。苦労した初戦があって、圧倒できた試合もあって、そして2点差のビハインドを追いついてPK戦で勝って……。いろんな試合を経験できたというのもチームにとってはプラスでした」

良い指導者になるために「魅力的な人間にならなきゃいけない」

 帝京長岡(新潟)との準決勝にも2-1で競り勝ち、初めて決勝へと駒を進める。相手は優勝候補筆頭の呼び声高い神村学園(鹿児島)。エースのU-19日本代表・名和田我空を擁し、ここまで1点も奪われずにファイナルまでやってきた。

 不思議と負ける気はしなかった。

 後半29分に勝ち越しゴールを許したものの、逆境に強い昌平イレブンはここから立て続けに2点を奪って逆転に成功する。3-2で勝利すると、いつもクールな玉田も飛び上がって喜びを表現した。埼玉県勢としては51年ぶりのインターハイ制覇だった。

「昌平イコール4強止まりみたいなイメージって、ずっとあったじゃないですか。その殻をようやく打ち破ることができた。タイトルって選手の時もメチャメチャうれしかったですよ。でも指導者では、それ以上の喜びだったなって感じています」

 嬉しかった経験もあれば、冬の高校選手権埼玉県予選では準々決勝で聖望学園に3-4で敗れた悔しかった経験もある。一つひとつが指導者としての肥やしとなった。

 1年間、監督業をこなしてきた玉田に、今度は古巣の名古屋グランパスからトップチームのコーチというオファーが届く。将来的にはプロの選手を指導していくことを考えていただけに、“復帰”を決断した。昌平での指導経験が自分のベースにあり、グランパスでもコミュニケーションを取りながら一緒にサッカーに打ち込もうとする姿がある。コーチ2年目となった2026年は経験豊富なミハイロ・ペトロヴィッチ監督のもと、学ぶことも多いという。

「いい指導者って、共通しているのは人間的な魅力だと思うんです。ミシャさんもそうで、(JFA)Proライセンスの研修で(興梠)慎三と一緒になった時、彼が浦和レッズで一緒にやってきたミシャさんの話をするわけですよ。そうなると、チームを離れて2週間も経っていないのに、メチャメチャ会いたくなるんですよね(笑)。いい指導者になるには、魅力的な人間にならなきゃなとは思っています。

 毎日が楽しいですよ。選手が自分の想定以上のプレーをしてくれるとやっぱり嬉しいし、そうなるともっといいアイデアを考えていかなきゃなって、こっちも燃えてくるので」

 近い将来、Jリーグで監督となって自分のサッカー観をピッチで表現していくことを頭に描く。玉田はこう語る。

「魅力的なサッカーをしたいですよね。何が魅力的かというのは、自分のなかでもっと練っていくつもり。この人のサッカーってこうだよね、ちょっとほかとは違うよねって思われたいかなっていうのはあります」

 人間的な魅力を持ち、魅力的で個性的なサッカーを。

 プレーヤーであっても指導者であっても、「楽しむ」をモットーとする玉田圭司であり続ける。(文中敬称略)

■玉田圭司 / Keiji Tamada

 1980年4月11日生まれ、千葉県出身。習志野高から99年に柏レイソルに加入し、1年目からプロデビューを果たす。2002年の2ndステージからレギュラーの座を掴んで3得点を挙げると、翌02年には28試合出場11得点と一気にブレイク。06年には名古屋グランパスに移籍し、10年のリーグ初優勝に貢献した。その後はセレッソ大阪、名古屋復帰を経て、19年にV・ファーレン長崎へ。21年に現役引退を発表した。日本代表にはジーコ監督時代の04年にデビューし、同年のアジアカップでチーム最多の3得点を挙げ、優勝に貢献。06年のドイツW杯にも出場し、第3戦のブラジル戦でゴールを決めている。引退後は指導者に転身し、昌平高のコーチを経て監督に就任。同校をインターハイ優勝に導き、25年からは古巣・名古屋のコーチに就任した。

(FOOTBALL ZONE編集部)



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