世界大会後に襲った悲劇「プチッと」 “幼馴染”はトッテナム日本人…背中を追って呼ばれた代表

U-20女子W杯で活躍も直後の負傷で長期離脱に
女子サッカーの未来を考える――。5年目を迎えたWEリーグと、FOOTBALL ZONEは共同企画「WE×ZONE ~わたしたちがサッカーを続ける理由~」で、日々奮闘する選手たちの半生に迫る。第4回はセレッソ大阪ヤンマーレディースの日本女子代表(なでしこジャパン)DF白垣うの。彗星の如く現れた20歳の新星はA代表の舞台でもその名を刻んだ。連載第3回は、プロの世界へ足を踏み入れ襲われた最大の悲劇。左膝の負傷と、そこから這い上がらせた家族の絆、友の存在について。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小杉舞/全4回の3回目)
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身体の奥底から響く異変の音が響き渡った。アスリートにとって、最も残酷な音。積み上げてきた日々が一瞬で崩れ去った。幼い頃から英才教育を受け、各年代別代表の常連だった白垣は憧れの舞台にたどり着く。2024年、U-20女子ワールドカップの舞台。だが、自身の現在地を確かめた直後にあまりにも過酷な「空白」の時間が待っていた。悲劇は突然、ピッチ上で彼女を襲った。
「ブチッといったかな……って。初めての大怪我だった。でも、その時はまだ認めたくなかった。自分に『大丈夫、やってない、走れる』と言い聞かせて、アドレナリンが出ていたせいか、そのまま少しプレーできてしまった。でも、練習が終わって一晩明けるとごまかせなかった。『頼む、違ってくれ』と願い続けたけど、病院へ行くと左膝内側半月板損傷と診断されて、先生から『手術だね』と宣告された」
順風満帆に見えたキャリアに、突然突きつけられたリハビリという名のトンネル。もともと、考え方はネガティブになりがちだという白垣にとっては試練だった。しかし、そんな彼女の心を闇に落とさなかったのは、太陽のように明るい家族の絆、とりわけ母の強烈なポジティブさだった。
「母がとにかくすごい(笑)。私が少しでも弱音を吐いたり、不安そうな顔を見せたりすると『そんなん関係ないねん! 今やれることをやるだけやん!』と一蹴される。保育園の頃から、私にとってのおまじないは『やればできる』。今でこそ芸人のティモンディさんの決め台詞として有名ですけど、白垣家では家訓でしたね」

トッテナムへ移籍した1学年上の浜野まいかは家が近所の幼馴染
もう1人、白垣のキャリアにとって欠かせないのが幼馴染。1歳年上のなでしこジャパンFW浜野まいか(トッテナム)だ。同じセレッソアカデミー出身で、学校は別だったものの家が近所。2人でオフの日も公園でボールを蹴り、浜野の背中を常に追った。15歳でレディースの特別指定選手となり、移籍先のINAC神戸レオネッサでプロとして羽ばたいた友人。だが、白垣も思いもよらぬ形でプロ人生が決まった。
「高校1年生の時、シーズンが始まる前に1通のLINE(メッセージアプリ)が届いた。来年の背番号のお知らせでアカデミーからトップのレディースまで全員分。自分を探したら『22番』。カテゴリーを見たらレディースで、本当にびっくりした」
家族との外食中に舞い込んだ吉報。想像していなかった世界だったが「とりあえず目の前のことに食らいついていきました」。浜野に支えられ、自身でのし上がり、掴んだ切符だった。
突然の吉報はこの時だけではない。2025年10月、あるオフの日。朝9時ごろ、枕元でスマートフォンが鳴った。画面に表示されたのは強化部長の名前だった。
「何やろうと思って電話に出たら、いきなり『選ばれたよ』って。なでしこジャパンの追加招集だった。何が起きたか分からなくて、何度も聞き返してしまいました。次の日の朝には出発。とにかく焦りながら準備を詰め込んで。仕事中の母に連絡したら、驚きと喜びで電話がかかってきました」
負傷から約半年の離脱を経て、試合に出場していたからこそ掴んだ初代表の舞台。何事も母の言葉にあとを押され、逃げずに取り組んできたから目標に1歩近づいた。
「全力に悔いなしやで、と母からずっと言われてきた言葉の意味がわかるようになった。大怪我から復帰を支えてくれたすべての人への恩返しは、ピッチで結果を出すことだと思っています」
トンネルを抜けた新星は、今大きな飛躍を遂げている。その勢いは止まることを知らない——。
(FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞 / Mai Kosugi)





















