ゴリゴリ系MF→SB転身「今よりオラオラ」 20歳で日本代表に…仲間は飛び級、味わった挫折

白垣うのは幼少期、攻撃的なプレースタイル
女子サッカーの未来を考える――。5年目を迎えたWEリーグと、FOOTBALL ZONEは共同企画「WE×ZONE ~わたしたちがサッカーを続ける理由~」で、日々奮闘する選手たちの半生に迫る。第4回はセレッソ大阪ヤンマーレディースの日本女子代表(なでしこジャパン)DF白垣うの。彗星の如く現れた20歳の新星はA代表の舞台でもその名を刻んだ。連載第2回は「自分がいなくてもいい」からの脱却。セレッソ大阪で見つけた“戦うスイッチ”と強気な自分について。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小杉舞/全4回の2回目)
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才能の芽がどこで開くかは誰にも分からない。しかし、白垣の場合、そのきっかけは「喪失」から始まった。小学校6年生の時、当時所属していた地元のチーム・デルソナが突然の解散を余儀なくされた。だが、別れはきっかけにもなる。当時、チームは強く、周囲には自身よりも上手い選手が揃っていた。そんな環境に無意識のうちに安住していた。
「正直、当時はどこか甘えの中にいたと思う。。自分がいなくても、周りが上手いから試合には勝てる。チーム全体で頑張ってはいるけれど、どこか他人に頼っている部分があった。自分が絶対に何とかしてやろう、という熱量はまだなかった」
移ったのが「F.F.C Selecao」だった。さらに母に勧められたのが、セレッソ大阪のエリートクラスへの挑戦。Jリーグの育成組織として名高いセレッソの門を叩くことで競争社会へ飛び込むことを意味した。男子に混じって、文字通り「選ばれし者」の場所。セレクションを経て合格の報を受けた。
「自分でもなんでか分からないんですけど、急に自分から行くようになったんです。それまでは受け身だったのが、一転して。両親も驚いていましたね。『うの、どうしたん? 最近すごく楽しそうやね』と。環境が変わったことで、また一からのスタートになって『試合に出たい』『負けたくない』というスイッチが勝手に入った」
当時のポジションはサイドハーフ。身長も高く、身体能力を生かして前進する“ゴリゴリ系”のアタッカーとして、白垣は頭角を現した。
中1で全国制覇…記憶に残る準決の分析
「当時は今よりずっとオラオラしていましたね(笑)。男子相手でもガツガツいって、ぶっ倒して進むような感じ。フィジカルで圧倒した子たちを力でなぎ倒してゴールに向かっていた。でもセレッソには技術的にとんでもなく上手い子がたくさんいた。レベルの高さに驚いたけど、ここで上手くなったらどれだけ楽しいだろうという期待はあった」
練習拠点である岸和田までは、母が常に車で送迎してくれた。中学生になると、セレッソ大阪堺アカデミーでプレーすることに。南津守の練習場まで、電車と自転車を乗り継ぎ、1時間以上かけて通う日々がスタート。しかし、白垣にとっては移動すらも「綺麗な芝生の上で、レベルの高い仲間とサッカーができる。それだけで嬉しくて、通うのは全然苦じゃなかった」と自身を高める一因となっていた。
さらにターニングポイントがやってきた。中学生になると、キャリアの決定打となる“コンバート”が待っていた。サイドバックへの転向だった。
「きっかけは覚えていない。でも気づいたらサイドバックになっていて、気づいたら試合に出ていた。でも、当時の優勝した映像を今見返すと愕然とする。『自分、何もできてないな』と。本当に周りの選手に助けられて、生かされていたんだなと痛感した。ディフェンスらしい強さはあったのかもしれないけど、技術的にはまだまだだった」
白垣が振り返った優勝。中学1年生で経験した全日本U-15女子サッカー選手権の制覇だった。セレッソ大阪アカデミーが大切にする「全員守備・全員攻撃」の精神が凝縮された。特に準決勝のJFAアカデミー福島戦は、大きな契機となった。
「相手が格上で強いのは分かっていた。だからこそ、選手同士で何度もミーティングを重ねて、相手のスタメンを予想した。みんな知り合いも多かったので、一人ひとりがアイデアを出して、選手全員の特徴を徹底的に分析。『この選手はこう来るから、こう守ろう』と。自分たちのプレー以上に、チームとしてどう戦うかを考え抜いた。あの成功体験があるから、今も『チームのために何ができるか』をまず考えられる」
放課後に同僚と最終ラインの確認
しかし、栄光の影で挫折も味わった。中学2年生でユースレベルの代表選手などが主に活動したリーグ戦「チャレンジリーグ」に飛び級で昇格する仲間がいる一方、白垣は足踏みを強いられた。
「タイミング的に入れ替わりが激しかったあの時は、本当に悔しかった。自分も早くチャレンジリーグに行きたい。『くそ!』と思いながら、毎日必死で自主練をしていました」
夕方に練習が終わり、電車に乗れるギリギリの午後8時まで。来る日も来る日も親友3人で連係を確認した。家に帰るのは午後10時になることも。ラインを揃えるタイミングを徹底的に磨き、時には自分たちで動画を撮影。泥臭い“放課後”の積み重ねが白垣の骨格を作った。弱音を吐かず、ひたすらボールを蹴り続けた日々だった。
環境が人を変えた。セレッソという荒波に揉まれ、視線はさらに高い場所へと向いた。日本代表にまで上り詰めた20歳の根幹はやはりセレッソにあった。
(FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞 / Mai Kosugi)






















