現役で不合格「浪人していいんじゃ?」 予備校とピッチの“二刀流”…父が示した早稲田大への道

頭に残るメニーナとの対戦「遊ばれた」
女子サッカーの未来を考える――。5年目を迎えたWEリーグと、FOOTBALL ZONEは共同企画「WE×ZONE ~わたしたちがサッカーを続ける理由~」で、日々奮闘する選手たちの半生に迫る。第3回はINAC神戸レオネッサのMF山本摩也。早稲田大学を卒業後、即スペインに渡って6年半プレーし、INAC神戸では4年目を迎える。明るくクレバーな32歳MFの連載第2回は、ぶち当たったエリートの“壁”と、辿った浪人生活という“最短ルート”。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小杉舞/全5回の2回目)
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順風満帆だと思っていた。中学1年でスフィーダ世田谷へ加入し、U-15カテゴリーながらU-18やトップチームデビューを果たし、都リーグに出場するなど、異例のスピードでキャリアを積んだ。中学年代でトップの環境に揉まれながらも周囲は技術を認めてくれ「自由にやりな」という空気のなかで伸び伸びとプレー。だが、順調な成長期に“壁”が立ちはだかった。
中学2年の頃、トップチームの試合に同行した山本は日本女子サッカー界の“エリート街道”を行く日テレ・東京ヴェルディベレーザの育成組織、メニーナと対戦した。中学1年〜高校3年が在籍するメニーナは山本にとって“同世代”との対戦。だが、その結果は目を覆うほどのものだった。
「0-7ぐらいでボコボコにされて。全然レベルが違うと思った」
実は、山本は小学6年の時にメニーナのセレクションを受け、最終選考まで進んでいた。最終テストはメニーナの練習に実際入り、プレーを共にするものだった。「レベルが高い。技術が全く違う」。突きつけられた結果は不合格。2年後の対戦では改めてその絶望的な差を思い知った。
「もう遊ばれたので。その試合は。上には上がいるんだ、と。このままだったらついて行けそうにないなと思いました。圧、怖さが違った」
メニーナの門戸は非常に狭く、同期のスターは元日本女子代表FW岩渕真奈さん。それでも山本にとって「遊ばれた」という感覚が、後により高いレベルを追求する原動力の1つとなった。

父が与えてくれた選択肢「浪人してもいいんじゃ」
高校からは名門・十文字高校に進み、厳しい文武両道を経て、進路を考える時期になった。部活動と勉強の両立は簡単ではなかったが、コツコツと積み上げていた。
「テストで赤点を取ったら部活動に出られない、というようなことも聞いていて。実は頑張っていました。高校最後の大会が終わっても、まだ続けようと思って練習には出ていて。同時に進路も考えて。大学サッカーで当時めちゃくちゃ強かったし、いい大学なので早稲田に行こう、と」
しかし、出願に使える高校2年生までの評定平均が条件に達していなかったため、現役での早稲田進学は叶わなかった。日体大なども候補に挙がったが、最後に後押ししたのは両親だった。
父は「1年ぐらいだったら浪人していいんじゃない?」と将来を見据えて言葉を掛けてくれ、選択肢を提示してくれた。両親の理解もあり、浪人を即決。同時にスフィーダへ復帰して予備校とサッカーの“二刀流”生活が始まった。
待っていたのは徹底したストイックな生活だった。午前8時から午後5時まで予備校で缶詰めとなり、夜はスフィーダで約2時間の練習。帰宅後、さらに机に向かうという毎日を過ごした。
「サッカーが良い息抜きになっていたんですよね、自分の中でも。ジャージで予備校に行って、授業を受けて、サッカーして帰って勉強して……をずっとやっていて」
一般入試での合格を目指し続けたが、浪人したことで高校3年時の評定平均が推薦入試の条件を満たした。「受けられる手段は全部受けてみよう」と挑戦したところ、合格。努力が実った瞬間だった。
中学のころ、スフィーダに所属していた山本は一時期、私生活が荒れていた。サッカーに向き合うことも「サボったことがあった」。だが、メニーナの“壁”にぶち当たり、自らのステージで磨きをかけ続けた。浪人という苦悩も乗り越え、目標へ辿り着いた。誰よりもタフネスさを身につけた山本。どんな世界も怖くない。さあ、向かうのは次なる舞台だ。
(FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞 / Mai Kosugi)





















