ハッとなった「お前らはプロに入っただけ」 J2下積み時代、名監督との3年間「毎日、気が抜けなかった」

柏レイソルの垣田裕暉  【写真:徳原隆元】
柏レイソルの垣田裕暉 【写真:徳原隆元】

柏レイソルの垣田裕暉が振り返るJ2での下積み時代

 2024年7月、鹿島アントラーズから柏レイソルに完全移籍で加わり、今季のJ1リーグで躍進するチームの中心選手として活躍をするFW垣田裕暉。鹿島に籍を置きながらも、武者修行として経験を積んだJ2での下積み時代について話を聞いた。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・上原拓真/全2回中の第2回)

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 中学1年生で鹿島ジュニアユースに入団し、ユース昇格、プロデビューを飾るエリート街道を歩んできた垣田。しかし、トップチーム昇格後の1年目の2016年はリーグ戦3試合の出場にとどまり、”常勝軍団”と称される鹿島の分厚い選手層に割って入ることができなかった。

 そのなかで、翌17年に当時J2のツエーゲン金沢へ育成型期限付き移籍を決断する。この時の金沢を率いたのは、Jリーグで700試合以上の指揮を執ってきた柳下正明監督。「ヤンツー」の愛称で親しまれる名監督の下で、一プロ選手として磨き上げられた。

「自分も若かったですし、厳しく育ててもらいました。プロになって、ちょっと調子乗ってるじゃないですけど、ユースの頃の思いを忘れていた自分もいて。『お前らはプロに入っただけでまだ何もしてないんだぞ』というのを感じながらやれる3年間でしたし、そういった環境で自分のなかでも土台ができて、成長することができた3年間だったなと思います」

 柳下監督の下で過ごした3年間は「毎日、毎日の練習で気が抜ける日がなかった」。最前線から守備のスイッチを入れる役割のベースとなる部分を金沢の3年間で身につけたという。

「いろんな部分での厳しさもありながら、金沢の時は試合でいっぱい使ってもらって。沢山の経験を積ませてもらって成長することができたと思っています。3年間を通して、練習で気が抜ける日がなくやれましたし、そういったなかで、すごい毎日が1日1日大事だったと思います。守備のやり方とかはやっぱりヤンツーさんのところで学べたなと思っています」

 金沢での3年間では、公式戦110試合21ゴール7アシストを記録し、20年に徳島ヴォルティスへ活躍の場を移す。ここで、現在柏で指揮を執るリカルド・ロドリゲス監督と出会い、リーグ42試合に出場し、得点ランキング3位となる17ゴール・5アシストを記録。チームのJ2優勝とJ1昇格に大きく貢献した。

 垣田はこの年にゴールを量産できた理由について「戦術が詰まったサッカーになって、そこに上手くハマっていけたんじゃないかなと思います」と当時を振り返る。

「何かきっかけがあったとかは分からないですけど。サッカーのスタイルがもうドンと頭を使う戦術が詰まったサッカーに変わって、そういったなかで、これまで自分がやってきたことがそこにうまくハマっていけたんじゃないかなと思います」

 徳島で2シーズン過ごした後に、サガン鳥栖でJ1基準を叩き込み、23年に鹿島へ復帰し、24年の7月に柏への完全移籍を決断した。昨季はチームも残留争いに巻き込まれ、垣田自身も途中出場がほとんどで不完全燃焼に終わった。

 しかし、今季はリカルド監督の下でチームも好調で、垣田自身もリーグ27試合で5ゴール5アシストの活躍を見せている。ゴールへの数字は「足りないですね」と苦笑いしたが、それでも「自分の良さを出そう」と、泥臭く前線からプレスをかけ続けるスタイルは変わらない。

「個人としてはまず今年の最初からやってきたその自分の良さを出すことを意識しています。リカルドも自分の良さを分かってくれていることもあって、そういったなかで自分の良さを大いに出せているんじゃないかなと思います」

 今季のホーム戦で試合を取材した時には、スタンドのファン・サポーターから「垣田のプレーは見ていて気持ちがいいね」「あの走りはすごいよね」など、ポジティブな声がたくさん聞こえてきたこともあった。ゴールを奪うだけではない、新たなストライカー像を確立したのは、J2での経験、柳下監督の指導があったからに違いない。

(FOOTBALL ZONE編集部・上原拓真 / Takuma Uehara)



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