ルール厳格化も…浦和が腐心したサポーターとの“親和関係”確立 今求められるものは?【コラム】

浦和レッズ第三者委員会シンポジウムには185人が集まった【写真:(C) URAWA REDS】
浦和レッズ第三者委員会シンポジウムには185人が集まった【写真:(C) URAWA REDS】

浦和で度々起きた規律違反、再発防止へ有識者らによる第三者委員会を設置

 クラブが誕生した1992年4月1日からの30年あまり、浦和レッズが歩んできた歴史は、サポーターとの親和関係確立に腐心してきたものと言っていい。チーム強化よりも労力と神経を消費しているはずだ。

 トラブルが発生するたびに対話と対策を重ねたが、一時的には正常化するものの“黒い報告書”は一向に絶筆にはならない。

 92年10月のナビスコカップ・名古屋グランパス戦で、約200人の観客が得点に喜んで2度もピッチに侵入。悪意のない小中学生が大多数だったが、その後断続的に発生した違反行為は大人によるものだ。

 94年11月の横浜マリノス戦後、30数人が浦和のロッカー室へ乱入寸前の事件があり、95年4月には挑発されたサポーター数人が、フィールドに飛び降りて清水エスパルスのGKシジマールを追いかけた。2000年6月のアルビレックス新潟戦ではチームバスのワイパーを折り曲げ、カラーコーンやペットボトルを投げつけた。

 08年5月のガンバ大阪戦は、両軍サポーターの小競り合いで浦和にJリーグ史上最高額となる2000万円の罰金が科せられ、13年11月の清水戦では相手のチームバスに爆竹などを投下したうえ、警備員への暴行容疑で4人が逮捕され、1000万円の制裁金を払っている。

 極めつけは14年3月8日のサガン鳥栖戦だ。“日本人以外お断り”と受け取れる「JAPANESE ONLY」と書かれた人種差別的な幕を掲げ、日本サッカー史上初の無観客試合開催の断罪である。

 クラブ側はことあるたびに善後策を講じてきたのだが、これだけ重い処分が下されてもサポーターは規律違反を繰り返した。

 コロナ禍の22年5月の鹿島アントラーズ戦と7月のG大阪戦で、禁止されていた声出し応援を重ね、再び2000万円の制裁金。Jリーグは今後も違反行為が発生した場合は、無観客試合や勝ち点減の可能性があると警告していた。

 にもかかわらず、名古屋と対戦した昨年8月2日の天皇杯4回戦では80人のサポーターがまた暴徒化。日本サッカー協会規律委員会は、「過去に類を見ない極めて危険かつ醜態なもの」と断じ、今年の天皇杯出場権を取り上げた。無観客試合と同等の厳罰と言える。

 これを受けて浦和は昨年11月、再発防止策の提言などを求め有識者らによる第三者委員会を設置。先日、その報告を兼ねたシンポジウムが開かれ、「浦和内部で当たり前と考えていたクラブとサポーターの関係性が、社会の規範とかけ離れつつある」「サポーターの越権行為を助長、容認している」という委員の所感は、私もずっと感じていたことで、頻発する事件と防止できない原因の集積だと思った。

 その最たるものが、かの人種差別的な文言の幕だ。キックオフ34分前に警備員が掲出を確認。警備責任者が警備会社に連絡したのがハーフタイムで、同時刻にクラブ従業員も確認したが、試合終了まで撤去されなかった。“横断幕は掲出した当事者と合意のうえで撤去するのが手順”という慣習を愚直に守り、不適切な幕と認識しながら2時間半も放置した。

浦和レッズ第三者委員会シンポウムの風景【写真:(C) URAWA REDS】
浦和レッズ第三者委員会シンポウムの風景【写真:(C) URAWA REDS】

クラブとサポーターの関係は「親子みたい」

 今回の天皇杯もそうだが、過去にも社長やGM、強化部長、時には監督までもがサポーターの要求に応じてゴール裏などに赴き、ほぼ一方的に聞き役に回ってきた。

 97年に指揮を執ったホルスト・ケッペル監督は、発煙筒をたきながら選手に生卵やコインを投げつける行為に「ホームで戦うのが怖くなってきた」と恐れた。天皇杯で敗れると、チームバスの昇降口には“俺たちの埃ケッペル”の幕が置いてあった。鳥取での試合だったが、入場を見逃す不手際と甘さもあった。

 浦和OBの阿部勇樹さんは「今まではっきりノーと言えなかったのは、クラブの責任でもあると思う。それは現役時代も感じていた」と述べ、第三者委員会が聞き取り調査した現チームのある主力は、「クラブとサポーターの関係は親子みたいだ」と話したそうだ。子供が悪さをしても親が後始末してくれる、ということだ。

 クラブは初期の頃から応援の中軸にいるサポーターを特別視し、具体例は伏せるが恩恵も与えた。入場料は広告と並ぶクラブ収入の根幹だが、チームに不利益を招く客は不要という強い姿勢が、とうの昔からほしかった。浦和の田口誠社長は「いろいろな見方を尊重すべきなのに、一部の人たちの意見を尊重したきらいがある」と、越権行為を容認してきた原因の1つに言及した。

 第三者委員会の1人は、クラブが講じてきた過去のさまざまな問題への対応について「ガバナンスの意識と対応が不十分だったことを認め、受け入れることが第一歩」と指摘した。

 浦和は昨年10月、日本協会とJリーグの内規にはない永久入場禁止というクラブ独自の処分を設け、違反行為の抑止力にした。

 しかしいくらルールを厳格化しても、規則というのは破られるのが世の常。罰則だけをより所にするのは、百年河清をまつようなものだ。クラブに従事するすべての人々が、クラブとサポーターの規範や原則について責任感を持つことが最大の義務で、最優先に求められるものではないだろうか。

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河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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