近江が高校サッカー界に吹き込ませた新風 他チームとは一線を画した観る者を“楽しませる攻撃”【高校選手権】

青森山田戦でも自らのスタイルを貫いた近江の選手たち【写真:徳原隆元】
青森山田戦でも自らのスタイルを貫いた近江の選手たち【写真:徳原隆元】

愚直なまでの中央突破への挑戦

 1月8日に東京・国立競技場で行われた第102回全国高校サッカー選手権の決勝戦で、近江(滋賀)は青森山田(青森)に1-3で屈し、初優勝はならなかった。しかし、今大会5試合で披露した相手のセンターラインを豪胆に突き進み、壁パスや独力でフィニッシュまで達するやり口は、高校サッカーに新風を吹き込むセンセーショナルなものだった。

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 2年ぶり2度目の出場となった前回大会は、初戦の2回戦で埼玉の強豪・昌平に1-3で敗れた。とはいえ当時からテクニカルな選手が揃い、グループ戦術も統一感があって優勝候補の昌平は大苦戦した。後半15分に先制されたが、6分後に同点に戻す。今大会3得点したMF山門立侑の強烈なシュートをGKが弾くと、こぼれ球を拾った同じく今大会3ゴールのMF鵜戸瑛士が蹴り込んだ。

 この1戦の先発メンバーに名を連ねた山門と鵜戸、主将の金山耀太と西村想大の両センターバックに加え、途中出場したMF浅井晴孔の計5人が、今大会の主力としてチームを牽引したのだ。

 1年前に昌平を率いた藤島崇之前監督は対戦後、「テクニックの高さとプレッシャーの速さに苦しめられた。(攻撃から)守備へ切り替わる早さは分析して分かっていたが、実際にはそれ以上に凄かった」と舌を巻いたものだ。

 とにかく愚直なまでに中央突破を試みる姿勢がいい。敵陣深くまで独力で運ぶ場面、壁パスを使ってマーカーを振り払う軽業、「行く」と見せかけて外にはたく意外性のあるやり方など、実に多彩な選択肢を持ち合わせているのだから驚きだ。

 準決勝で対戦し、すべて中央を崩されて前半に3失点した堀越の佐藤実監督が「中盤で止められず、後方からも加勢されて対策を考えているうちに失点を重ねてしまった」と言った言葉が、このチームの怖さをよく物語る。

大きかったプリンスリーグ関西1部での経験

 この1年、いったいどんなトレーニングを積み重ね、どこを強化したからこれだけのチームが完成したのだろうか。金山は「特にこれといったものはありませんが、うちは狭い局面に持ち出して(敵の守備を)攻略するのが得意なので、これを身に付ける練習はしてきました。あとは先輩が残してくれたものを引き継いだんです」と説明した。

 もう1つ。多くの選手が、2位に入ったプリンスリーグ関西1部でもまれた経験が大きいと言う。

 金山は「プリンスリーグを戦えなかったら、ここまで来られなかったと思う。いろんなカラーのチームとやれたことがすべて」と語り、山門も「強豪と戦えたことがすごく大きい」と同意見だ。

 古い話を持ち出す。高校選手権が首都圏開催に移行した1976年度、第55回大会の静岡学園(静岡)は決勝で浦和南(埼玉)に敗れたが、万雷の称賛を浴びた。ドリブル、ドリブル、ドリブルでゆったりと進む攻撃は革新的だった。74年の西ドイツ・ワールドカップ(W杯)で世界を驚かせたのが、オランダ代表のトータルフットボールだ。こちらも決勝で負けはしたが、優勝した西ドイツ以上に高い評価を得た。

 今回の近江も衝撃的なチームであったことは間違いない。あえて狭い地帯にもぐり込んで対戦相手の守備網を切り裂く戦術は、他チームとは一線を画していた。今も昔も攻めの基本はサイドアタックなのだから。

 1年前より凄みを増した山門は、大いに楽しめた大会だったと振り返る。

「ピッチの僕らが楽しくプレーし、見ている人も楽しめるサッカーを求めてきました。世間にインパクトを与えることを目標にして戦い、よそのチームがやっていないサッカーが日本に知れ渡って嬉しい」

 学校のある彦根市は近江牛に彦根城、2021年の東京五輪で競泳二冠の大橋悠依が有名だが、おらが街の自慢が1つ増えた。

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河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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