プレー面からビジネスモデルの見本まで 名手イニエスタが日本サッカー界に与えた影響

イニエスタが日本サッカー界にもたらした影響とは?【写真:Getty Images】
イニエスタが日本サッカー界にもたらした影響とは?【写真:Getty Images】

【識者コラム】神戸の人気を押し上げるとともに、Jリーグへの関心を高めた

 7月1日に行われるJ1リーグ第19節のヴィッセル神戸vs北海道コンサドーレ札幌の一戦をもって、元スペイン代表MFアンドレス・イニエスタがチームを去る。2018年5月24日、シーズン途中で来日したスーパースターは、今回もシーズン途中で離日することになった。今回は「FOOTBALL ZONE」の特集内にて、イニエスタが日本にもたらしてくれたものを多角的に見ていく。(文=森雅史)

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 イニエスタが最も世界中に名を轟かせたのは、2010年の南アフリカ・ワールドカップ(W杯)の時と言っていいだろう。オランダとの決勝戦は無得点のまま延長に突入。それまで何度も自らのパスで決定機を作り出していたイニエスタは延長後半11分、MFセスク・ファブレガスのパスをわずかに浮かしながらトラップすると、ボレーで決勝点を決めたのだ。スペイン、悲願の初制覇だった。

 来日時に34歳とまだ十分にスーパープレーが期待できる選手の加入は、一気にJリーグへの関心を高めた。イニエスタが登場したあとのノエビアスタジアム神戸の入場者は、1万7170人から一気に2万4752人へと増加する。2018年のホームゲームはその後一度も2万人を切ることがなかった。神戸の17年の平均入場者数は1万8272人で、J1リーグ中10位。だが、19年は2万1491人で8位まで上昇した。神戸の人気を押し上げたのは間違いない。

 それだけではない。対戦相手のスタジアムによる部分も多いのだが、神戸がビジターとなる試合も、加入前の平均は1万3724人だったのが3万1019人に伸びている。ほかのチームにとっても神戸=イニエスタは大切なカードになったのだ。

 18年度の神戸の入場料収入は前年度に比べると3億円以上増えた。また入場料という部分だけではなく、イニエスタはJリーグのビジネス面にも大きく貢献している。神戸単独で見ると、17年度から18年度の売上高は44億円以上増加しており、J1クラブ全体の売上高も151億円増えたのだ。

 イニエスタ獲得の際に大きな話題となったのは桁違いの年俸だった。18年の推定年俸30億円がどれくらいの金額だったかというと、同年の北海道コンサドーレ札幌、湘南ベルマーレ、ベガルタ仙台、V・ファーレン長崎の売上高を1人で上回っている。

 これはそれまでのJクラブにはなかったスケールでの投資であり、ほかのクラブにとっても巨額をかけても回収できるのかどうか、あるいはどんなビジネスモデルを展開すれば効果が出るのかという見本にもなるところだった。

瞬間的に戦況を見極めてベストのプレーを選択する「視力」が傑出

 何より、Jリーグができた当初の、海外のスター選手がきら星のごとく各チームにいた時のような活気を国内外に示すことができたのはイメージアップとして効果的だったはずだ。有名選手がアジアで目指す国は久しく中東や中国というのが定番になっていたが、そこに日本もまだポテンシャルがあると示したのだ。

 Jリーグもその価値を十分に分かっていたからだろう。それまでの規約を変更してまでスター選手を受け入れている。イニエスタと言えば「8」番。スペイン1部FCバルセロナに所属していた2007-08シーズンからずっと同じ番号をつけていた。だが2018年の神戸ではMF三田啓貴(現横浜FC)がその番号を背負い、イニエスタが加入するまでのリーグ戦16試合のうち、15試合に出場し3ゴールを挙げている。

 この事態に、Jリーグはイニエスタ加入が決まった後になる5月30日の理事会で、シーズン途中の背番号変更を認めると決めた。結果、三田は「7」番になり、イニエスタは自身を象徴する番号をつけられることになった。村井満チェアマン(当時)は、移籍に関して「リーグとしても育成システムを学ぶいい機会」と手放しで歓迎の様子を見せた。

 そこまでの期待を背負って日本にやって来たイニエスタは、期待に背かぬプレーを見せる。ベルベットタッチでボールを意のままに操り、どんなときにも落ち着きを失わず淡々とプレーを重ねていく。

 何より「視力」が傑出していた。瞬間的に戦況を見極めてベストのプレーを選択する。高い技術力と反応速度でその「視力」で見つけ出した最適解にボールを送り込むことができた。

 そんなイニエスタのプレーを最も象徴しているのは2019年8月23日、J1リーグ第24節の試合ではないだろうか。同じスペイン人のFWフェルナンド・トーレス引退試合も兼ねていたこの試合で、神戸はサガン鳥栖のホームに乗り込んだ。

 前半22分、自陣左サイドでイニエスタはロブで渡されたパスを受けた。そのままボレーで味方にパスすると、ポジションを細かく修正しながらヘディングで折り返されたボールを待つ。そして再びボレーで、ハーフラインを越えた逆サイドにいるFW古橋亨梧(現セルティック)に送ったのだった。古橋は悠々とペナルティエリアに進出し、折り返したボールをFW田中順也が決めた。

 空中に浮いているボールを味方とパス交換しながら逆サイドの様子まで認識し、30メートル以上のパスをダイレクトで正確に味方に届ける。イニエスタが持っている技術のどれ1つがかけてもできない、イニエスタにしかできないプレーでもあった。

日本でイニエスタの生のプレーを見られた人々は「幸運だった」

 だがその半年後、突然黒雲が頭上を覆うことになる。

 イニエスタにとっても、世界のサッカーシーンにとっても不幸だったのは、2020年から「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)」が猛威を振るったことだった。このパンデミックで世界中のサッカーシーン、ビジネスシーンは大きく変わってしまった。

 本来ならばイニエスタの妙技に熱狂していたであろうスタジアムは、無人の観客席が静かにプレーを見守るだけになってしまった。まだまだ輝けたはずのスターが、3年間も通常とは異なる雰囲気の中で美技を見せていたのはもったいなかったと言わざるを得ない。

 それだけにこの6年間でリーグ戦113試合(もしかすると7月1日で114試合)、そのほかカップ戦・親善試合などで20試合の生のプレーを見られた人たちは幸運だったと言えるだろう。

 日本での最後の試合にイニエスタは登場するのか。出場したらどんなプレーを見せてくれるのか。今季ここまでリーグ戦3試合の出場しかないにもかかわらず、これだけ期待されるのが、イニエスタがイニエスタである所以である。イニエスタにとってもこの日本の5年間が、彼の人生にとって実り多きものだったことを願っている。

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森 雅史

もり・まさふみ/佐賀県出身。週刊専門誌を皮切りにサッカーを専門分野として数多くの雑誌・書籍に携わる。ロングスパンの丁寧な取材とインタビューを得意とし、取材対象も選手やチームスタッフにとどまらず幅広くカバー。2009年に本格的に独立し、11年には朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌で開催された日本代表戦を取材した。「日本蹴球合同会社」の代表を務め、「みんなのごはん」「J論プレミアム」などで連載中。

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