岡山学芸館MF木村匡吾が呼び込んだ2ゴール 妥協しないストイックさと恩人への感謝の意

初の全国制覇に導いたMF木村匡吾(7番)【写真:徳原隆元】
初の全国制覇に導いたMF木村匡吾(7番)【写真:徳原隆元】

決勝戦で反省点を挙げる「ゲームを組み立てるっていう面では結構課題があって…」

 1月9日に国立競技場に行われた東山(京都)との第101回全国高校サッカー選手権大会決勝の大舞台で2ゴール。岡山学芸館(岡山)に優勝をもたらす原動力となったMF木村匡吾に聞いてみた。決勝戦でのプレーはどうだったのか。

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「まだでも、パスだったり、ゲームを組み立てるっていう面では結構課題があって。点という結果は出せたんですが、結構課題も見つかった試合だなと思います」

 そう話す木村は、MF山田蒼とボランチでコンビを組んでおり、高原良明監督はこれが岡山学芸館の生命線の1つだと公言してきた。また実際に、このボランチコンビは相手の攻撃の芽を摘む守備ができていたが「それはさておき」とばかりに攻撃面の課題に言及するのが木村という選手の良さなのだろう。ちなみに木村は準決勝の神村学園戦後も同じように攻撃面で納得できていないと反省していた。そうやって慢心しない姿勢は好感が持てた。

 サッカーに対し、ストイックさを見せる木村ではあるが、その一方で恩人たちに優勝を届けられたと胸をなでおろす一面も見せている。

「こういう形で先生たちにも親に恩返しできたのは、すごく大きなことだと思います」

 また優勝後に号泣していたマネージャーについては率直に感謝の言葉を口にしていた。

「本当に全国でもトップレベルでサポートしてくれていると思っていて、本当にしんどいと思うんですけど、僕らのためにいっぱいやってくれて。(嬉し涙で)泣かせられたというか、そういう(嬉し涙を流すような)気持ちにできたのがすごく嬉しいです」

 自らのプレーには妥協せず。その一方でお世話になった方に感謝の気持ちを伝えられる。そういう選手の決勝戦での2ゴールと優勝を素直に祝福したいと思う。

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江藤高志

えとう・たかし/大分県出身。サッカーライター特異地の中津市に生まれ育つ。1999年のコパ・アメリカ、パラグアイ大会観戦を機にサッカーライターに転身。当時、大分トリニータを率いていた石崎信弘氏の新天地である川崎フロンターレの取材を2001年のシーズン途中から開始した。その後、04年にJ’s GOALの川崎担当記者に就任。15年からはフロンターレ専門Webマガジンの『川崎フットボールアディクト』を開設し、編集長として運営を続けている。

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