東山監督、涙声で無念吐露「球を動かす時に…」 選手権V逸後の会見で唯一挙げた敗因

「うちが負ける時って決定力不足なんです」…悔しさを滲ませたMF真田

 仕切り直しの後半がスタートしたが、同7分に左クロスから、同40分には右ロングスローから2失点した。東山6本、岡山学芸館5本、シュート数が示すように、後半の決定打は東山のほうがやや上回った。それでも同14分、フリーの真田が右サイドMF阪田澪哉の絶品右クロスをバーの上に吹かしてしまい、同29分の阪田のヘッドもバーに弾かれてしまった。対照的に岡山学芸館は少ない好機を確実にゴールに結び付けた。

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 東山は真田とMF松橋啓太の両ボランチが、質の高い攻めの初手を担うのがいつもの姿。しかし中盤でしっかりつなぎ、ボール保持力を高める本来の攻撃を展開できず、縦に急ぐ慌ただしいサッカーになった。ボール保持者が格好のパスの受け手を見つけられなかったのだ。

 福重監督は「球を動かす時に慌ててしまい、ボールロストが増えた。そこをもう少し落ち着かせられれば良かった」と述べた。会見中、唯一挙げた具体的な敗因だった。真田も「前へ前へと行ったのが良くなかった。うちが負ける時って決定力不足なんです。あと1つ決められなかった」と悔しさが滲んだ。

 これで京都勢は第89回大会の久御山、91回大会の京都橘に続く準優勝に終わった。しかし福重監督は「コロナ禍でこそ、横のつながりと絆が深まった代、それが強みになった」と何度も何度も選手に謝辞を述べ、セレッソ大阪に加入する阪田は「期待に応えられず申し訳ない。後輩には強い東山をつくってもらいたい」と1、2年生に悲願を託した。

(河野 正 / Tadashi Kawano)



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河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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