W杯グループリーグ突破口は? かつての“ロナウジーニョ”になり得る日本の救世主候補

カメラマンが見た日本代表の救世主候補とは?【写真:徳原隆元】
カメラマンが見た日本代表の救世主候補とは?【写真:徳原隆元】

【カメラマンの目】02年日韓大会のブラジルを引き合いに日本を考察

サッカーは選手、スタッフ、レフェリー、記者・解説者、フォトグラファーなど、それぞれの立場から見える世界がある。22歳の時からブラジルサッカーを取材し、日本国内、海外で撮影を続ける日本人フォトグラファーの徳原隆元氏が、11月20日に開催が迫ったカタール・ワールドカップ(W杯)の現地を訪れ、独自の視点から日本の勝利へ“突破口”を考察しお届けする。

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 ワールドカップ開幕を控えカタール現地のテレビも、サッカーの最高峰を決める大会に関連した番組が目に付く。そうしたなか2002年W杯・日韓大会から3大会連続でブラジル代表としてプレーしたカカのインタビューが放送されていた。選手として最後にアメリカでプレーしていたため流暢な英語で質問に受け答えしていた。

 番組のなかでは出場機会は少なかったが、W杯初出場となった02年大会の思い出も語っていた。日韓大会は結果を見れば王国ブラジルの優勝で幕を閉じたが、南米予選では北の街サン・ルイスで行われた最終節に勝利し、辛くも出場権を獲得する大苦戦の末に勝ち取った出場権だった。

 しかし、予選から一変して本大会では名前の頭文字をとって名付けられた“3R”爆発的な活躍を見せることになる。怪我から復帰した怪物ロナウドに予選からチームを支えてきたリバウド、そして若手のロナウジーニョの3人が躍動。ブラジルは前線の彼らが創造する強烈なアタッキングサッカーによって優勝の栄冠へと辿り着いたのだった。

 3人のうちロナウドが大会得点王に輝いたため大きくクローズアップされることが多いが、実はチームを活性化させたのはロナウジーニョだったと言える。

 若きロナウジーニョはシドニー・オリンピックチームのエースとしてプレーし、フル代表にも選出されていたが、長丁場の南米予選では低調なチーム状態に埋没するように、大事な終盤には存在感が薄れかけていた。

 しかし、大舞台の本大会でさらなる成長を遂げチームの栄冠獲得に貢献したのだった。W杯のような短期決戦の大会では、急激にその存在を増す選手の出現が、チームの躍進に拍車をかけることになる。

 日韓大会から20年を経て行われるカタール大会。開幕を翌日に控えた19日、日本はいよいよチームの完成に向けて最終調整へと入った。この日、報道陣に対して公開されたのは冒頭の短い時間だけで終わったが、練習前には選手、スタッフの集合写真を撮影し、決戦へと向かうチームの機運を高めた。

日本代表MF三笘薫【写真:徳原隆元】
日本代表MF三笘薫【写真:徳原隆元】

 では、日韓大会のブラジルのロナウジーニョように、チームに勢いをつける救世主となり得る選手を日本から探すとなると誰になるのか。ドイツ、スペインといった強豪との対決で、劣勢が予想される試合展開のなか突破口を開くには、特出した武器を持っている選手でなければならない。

 その選手は三笘薫になるのではないだろうか。決してレギュラーが約束されているわけではない。チーム合流も17日と遅れた。

 それでも開幕前日に全体練習へと加わり、スタメン獲得の戦いになんとか間に合った。彼のダイナミックなドリブル突破は、きっと劣勢の局面を一気に打開する武器になるはずだ。
W杯の舞台において独創的なプレーで観客を沸かせ、チームを牽引したロナウジーニョだが、サッカーを心から楽しみ、笑顔でプレーしていた姿はムードメーカーとしての役割も担っていた。

 決戦が迫るなか開幕前の練習でもっとも笑顔を見せていた日本人選手は、ほかの誰でもなく三笘だった。

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FOOTBALL ZONE特派・徳原隆元 / Takamoto Tokuhara

とくはら・たかもと/1970年東京生まれ。22歳の時からブラジルサッカーを取材。現在も日本国内、海外で“サッカーのある場面”を撮影している。好きな選手はミッシェル・プラティニとパウロ・ロベルト・ファルカン。1980年代の単純にサッカーの上手い選手が当たり前のようにピッチで輝けた時代のサッカーが今も好き。日本スポーツプレス協会、国際スポーツプレス協会会員。

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