「レッズ花壇」への“情熱” 庭園管理士になった元Jリーガー、16年の時を経てつながった縁

2019年にお披露目された「レッズ花壇」の第1作。2000平方メートル超の敷地に約1万5000株の花でエンブレムを描いた【写真:東武動物公園提供】
2019年にお披露目された「レッズ花壇」の第1作。2000平方メートル超の敷地に約1万5000株の花でエンブレムを描いた【写真:東武動物公園提供】

浦和サポーターのコレオグラフィーには「見るたびに驚かされた」

 正式名は“浦和レッドダイヤモンズ”で、クラブが1999年から育種し、2010年5月に誕生。さいたま市出身の育種家、河合伸志氏が作出した高さ80センチの赤いミニチュアで、花言葉は「愛情、情熱、忍耐」だ。

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 18年5月26日、浦和レッズの畑中隆一さんと中村紀彦さん、地元サッカー少年団らを招き“レッズローズ”の植樹イベントが行われた。

 その時のひとコマ。「花でレッズのエンブレムを描けそうです」というアイデアを聞き、スケッチを見せられた中村さんは「この発想にびっくりしました。それから色や形などについて何度も意見を出し合い、完成した花壇を見た時は感動で胸がいっぱいでした」としみじみ語る。

 東海林は浦和時代の背番号「34」と「TOKAIRIN」と縫い込まれた、赤いユニフォーム姿で植樹イベントに参加。畑中さんは「選手時代はいい思い出がなく、レッズをどう見ていたのか心配でしたが、嬉しかったですね。これがきっかけで新たな関係ができたことに感謝したい」とOBのクラブ愛に感慨深そうだ。

 合縁奇縁。約16年も疎遠だったのに、つながりとは不思議なものだ。さらに“レッズローズ”の導入、植樹にもかつての同僚が関わる。浦和で同期の三上卓哉の当時の会社が、ハートフルガーデンを施工した東武緑地株式会社と関係があり、三上が仲介役になってくれたのだ。

 18年9月には、浦和と大宮アルディージャによるOB戦に初出場した。「バラをきっかけにレッズとのつながりが深まりました」と喜ぶ。

 浦和サポーターは勝負の一戦になると、スタジアムを装飾して選手を鼓舞する出色のコレオグラフィーを展開してきた。

「あれを見るたびに驚かされ、花でも表現できないかとずっと思いを巡らせていたんです」

 エンブレム構想が花の植え付け時期を迎えた。きれいに咲く品種でないと美しいデザインにならず、花の選定には腐心した。花壇を造る敷地を耕したら、肥料をまいて下書きをする。石灰でラフ画を描いた後、糸を精密に張ってライン取り。完成図と突き合わせながら、ラインに沿って花を植え込んでいった。18年秋に取り組んだこの作業が、翌春来園した人々を驚かせることになる。

河野 正

1960年生まれ、埼玉県出身。埼玉新聞運動部で日本リーグの三菱時代から浦和レッズを担当。2007年にフリーランスとなり、主に埼玉県内のサッカーを中心に取材。主な著書に『浦和レッズ赤き激闘の記憶』(河出書房新社)『山田暢久火の玉ボーイ』(ベースボール・マガジン社)『浦和レッズ不滅の名語録』(朝日新聞出版)などがある。

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