“武闘派DF”へ進化を遂げた屈辱の1年 浦和で躍動する槙野がドイツで得た「大きな財産」とは

試合に出るために捧げたサッカーの時間

 試合に出られないのであれば、リザーブチームで活躍してチャンスを得ることも可能だった。だが、トップチームと日程が重なり、出場することはできなかった。それでも気持ちを破綻させず、試合に向けての準備を怠らなかった。日々の練習では誰よりも早く来てトレーニングした。

「練習は、試合モードでやっていましたね。日本だと先輩にケガさせちゃいけないとか、スライディング禁止とかあるじゃないですか。ケルンでは選手とけんかしたり、けがさせてでも止めてやるという激しい気持ちでやっていた。やるべきことはやっているという自負があったし、それで試合に出られないのであれば仕方ないと徐々に自分の中で消化できるようになっていきました。だって、試合に出られなくて腐って、練習も適当にしていたらドイツに来た意味がないし、時間がもったいない。それよりも練習を必死にやって、『なんでマキノを使わないんだ』ってチームメートに言われた方がいいし、そう言わせたかったんです。だから、俺にとっては紅白戦が公式戦で、トップチームに対していかに勝つか、いかに体を張って守れるか。それを重視して練習していました」

 必死だったのは練習だけではない。ケルンでは、遊ぶ場所はいくらでもあったが、私生活もサッカーに捧げた。

「“24時間サッカーをデザインする”という言葉があるんですけど、毎日2、3時間のトレーニングをどう過ごすかということと、残り21時間の生活をすごく大事にしていました。食事や睡眠はもちろん、テレビでサッカーを見たり、自主トレしたり。近くに香川(真司)、ウッチー(内田篤人)、ミチ(安田理大)、チョン・テセ、カレン(ロバート)らがいたので、みんなで食事に行って刺激し合ったりもした。苦しかったこの頃は、自分の置かれている立場を説明して自分と置き換えてどういう選択をしたらいいのか。一人ひとりの意見を聞かせてもらったりして参考にさせてもらいました」

 しかし、残念なことに槙野のサッカーに懸ける誠実な思いは、監督に届くことはなかった。

 

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