「Jリーガーで1番薬を飲んだ」柏好文が引退会見…闘病乗り越えつかんだラストゲーム「忘れることはない」

家族から花束を受け取り笑顔を見せる柏好文【写真:井上信太郎】
家族から花束を受け取り笑顔を見せる柏好文【写真:井上信太郎】

柏好文は甲府で5年、広島で11年プレーした

 今季限りでの引退を表明したヴァンフォーレ甲府MF柏好文が12月13日、山梨・甲府市内で引退会見を開いた。甲府で5年間、サンフレッチェ広島で11年間プレーしたJリーグ屈指のサイドアタッカーは「16年間で出会ったすべての方たちにこの場をお借りして感謝を申し上げます。地元のクラブでキャリアをスタートさせて、16年間の最後に、自分が育ったクラブでまた終えられるというのは素晴らしいことだなと思います」と笑顔で振り返った。

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 柏は山梨・富士川町出身。地元の韮崎高校、国士舘大を経て、2010年に甲府に入団。2013年にはドリブルを武器にJ1の舞台で34試合に出場し、4得点をマークした。

 その年のオフ、多くのJ1クラブからオファーをもらった。その中から選んだのが、広島。当時の森保一監督が直接交渉の場に現れ、熱意を伝えてくれたことが決め手となった。

 印象的な活躍を見せたのは2015年のチャンピオンシップ決勝。第1戦では0-1のビハインドだった後半24分から登場すると、同35分にドウグラスの得点をアシスト。2-2となった後半アディショナルタイムの51分には、ゴール前の混戦から右足ボレーをたたきこみ、劇的な決勝点を挙げた。第2戦でも正確な右足のクロスで浅野拓磨のヘディング弾をアシストするなど、チームにタイトルをもたらし、森保監督に恩返しを果たした。

「サンフレッチェ広島では11年間プレーさせて頂きましたけど、本当に2015年の優勝した試合というのが自分自身では印象に残っています」

 昨年で11年間プレーした広島との契約が満了。シーズン中には現役引退も考えていたというが、今季は地元・甲府に帰ることを決断した。

「38歳という年齢でしたけど、自分自身、J1で11年間やってきた経験を甲府のために、クラブのために、今後を担う若手のためにと思い、帰ってきたんですけど…」

 プレーはもちろん、周りを明るくさせるキャラクターを生かし、地元の甲府を盛り上げたいー。だが1月の始動直後、目が見えづらく感じて病院に行くと、自己免疫疾患「Vogt(フォークト)ー小柳ー原田病」と診断された。異常な免疫反応により生じる疾患で、眼の他にも、発熱や頭痛、倦怠感にも襲われた。入院中はステロイドを点滴投与し、退院後も投薬治療を続けた。体重は最大8キロまで増加した。

「この1年間厳しい闘病生活を乗り越えて、大量のステロイドを飲みましたし、Jリーガーの中で1番薬を飲んだ自信はあります。他の人では乗り越えられない病気だと思います」

 10か月以上の闘病を経た11月23日、ホーム最終戦となったカターレ富山戦。後半32分からピッチに立つと、スタンドから割れんばかりの拍手と歓声が、背番号18に注がれた。

「病気を乗り越えて、小瀬のピッチに立った時の、1万人近くいた観客の方々の歓声というのは、今後忘れることはないです。山梨の方や甲府の方が自分に期待してくれていた思いをすごい感じ取りました。その分、やっぱりピッチで活躍できなかったのは応援してくれた皆さんには本当に申し訳ないと思います。やっぱり活躍するために戻ってきたので、みんなが本当に待ってくれていた、みんなが総立ちのような状態で拍手で迎えてくれたというのは感無量というか、嬉しい気持ちでした」

 来年こそピッチで恩返しをしたい。そう思っていた矢先、クラブから契約満了を告げられた。悔しさが込み上げたが、クラブの決断を尊重した。今季最終戦だった11月29日のロアッソ熊本戦では、ベンチ入りするも出場機会は与えられず、復帰戦が現役ラストゲームとなった。

「僕自身、広島からここに来た時に、このキャリアを始めたクラブで引退することを決めていた。プロの世界では需要と供給がなければ成り立たないと思うので、すぐに引退を決断しました」

 引退してまだ2週間。今後についてはこれからじっくり考えて決断するが、サッカー界には引き続き関わっていく意向だ。

「残念ながら甲府からは声を掛けて頂けていないので、甲府だったり、山梨のサッカー界に貢献したい気持ちはすごいあるんですけど、そこはクラブ側の思いもあると思うので。自分自身は関わりたい気持ちもありますけど、また違う道を自分自身は歩んでいきたいなと思います。サッカーで培ってきた経験をサッカー界に恩返ししたい気持ちはあるので、指導者なり考えていきたいかなと思います」

 引退会見には同じ山梨県出身でドイツ1部マインツでプレーする川﨑颯太から花が届いた。「16年間お疲れ様でした。いつも憧れの存在でした」とメッセージが添えられていた。

「僕自身は地元の富士川町出身である深井正樹さんに憧れて、緑のユニホームに袖を通したいということで韮崎高校に行きましたし、プレースタイルも深井さんのような選手になれるような思いで少年時代を過ごしていた。こうやってマインツでプレーする素晴らしい選手が、憧れて目標にしてくれたってことが本当に嬉しく思います」

 リーグ戦ではJ1通算350試合32得点、J2通算58試合5得点を記録。公式戦では500試合を超える出場を果たした。168センチの小柄なサイドアタッカーは、16年間の現役生活を走り抜いた。

「この数字より全然多い偉大な方たちはいっぱいいますけど、自分自身、公式戦で500試合以上できたということは、まして体が小さい方ですけど、そういう小さい選手でもできるところを示せたんじゃないかなと思います。残り1年は病気の中でやりましたけど、病気の方たちにも、少しは示せたんじゃないかなと思います。この病気でアスリートの選手はいないので、この病気ではパイオニアだと自分では思っているので、今後こういう病気に苦しんでいる方は、僕に声を掛けてくれれば、薬から何まで過程を教えたいなと思います」

 最後まで明るく、そして熱いメッセージを残した柏。周囲を笑顔にする男の第2の人生に期待したい。

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