選手もスタッフも「対等だよ」 後輩が“姿勢”に感銘…田中達也が指導者になっても貫く並走の信念

連載「青の魂、次代に繋ぐバトン」:田中達也(アルビレックス新潟U-18監督)第5回
日本サッカーは1990年代にJリーグ創設、ワールドカップ(W杯)初出場と歴史的な転換点を迎え、飛躍的な進化の道を歩んできた。その戦いのなかでは数多くの日の丸戦士が躍動。一時代を築いた彼らは今、各地で若き才能へ“青のバトン”を繋いでいる。指導者として、育成年代に携わる一員として、歴代の日本代表選手たちが次代へ託すそれぞれの想いとは――。
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FOOTBALL ZONEのインタビュー連載「青の魂、次代に繋ぐバトン」。2021シーズンを最後に現役引退した田中達也は現在、アルビレックス新潟U-18監督を務めている。若手とも対等に接した現役時代と同じように、選手たちに目線を合わせた指導を貫く。その目線の先にあるのは、21年間にわたって身を置いたJリーグの舞台だ。(取材・文=二宮寿朗/全5回の5回目)
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39歳の誕生日を迎えた田中達也は、2021年シーズン限りでの引退を決める。
左ひざの状態がずっと思わしくなく、シーズンがあと1か月となったところで進退について考えるようになっていた。いろいろな思いが交錯するなか、最終節の1週間前に気持ちを固めたという。
「決めた理由は純粋にケガでした。この状態のままプレーするのはチームメイトのみんなにも失礼だよなって思って。もちろんボールをもっと蹴りたかったので、その寂しさはありましたよ。引退後に何をするかなんて考えてもいない。サッカーには携わりたい、将来的に監督をやりたいみたいな気持ちはあっても、何せ1週間前に決断したくらいですから」
引退後の進路を考えていなかったのはピッチに全力を注いできた彼らしい。引退理由も年齢ではなく、左ひざの慢性的な痛みによって自分が納得できるプレーができなくなったから。これもまた田中達也らしい。
2021年12月5日、デンカビッグスワンスタジアム。
FC町田ゼルビアとのJ2最終節においてキャプテンマークを巻き、先発のピッチに立った。普段の試合と同じくチームの約束事を忠実に、やるべきことを愚直に遂行していく。前半30分を過ぎて交代を告げられると、両チームがつくった花道を通ってピッチを後にする。目には熱いものがこみ上げていた。そしてスタジアムを包む鳴りやまない拍手がリスペクトの大きさを示していた。
「かけがえのない、幸せな時間でした。ひざが痛すぎて痛み止めの薬を飲んだりして何とかピッチに立てたんですけど、それでもめちゃくちゃ痛かった(笑)」
引退セレモニーでは、自分の思いをマイクに乗せた。
<多くの方々のサポートのおかげで、とことんサッカーをやり続けることができた自分は本当に幸せ者です>
自分にかかわったすべての人に深く、深く感謝した。
後輩の言葉が物語った田中達也の偉大さ
一方でこのシーズン限りでチームを去る後輩から、退団の挨拶で感謝されている。大本祐規(現在はJ2ロアッソ熊本でプレー)の言葉が、彼の偉大さを物語っていた。
<絶対に人のせいにせず、前を向いて頑張り続けることができました。その大きな支えになったのが先日引退を発表されたタツさんの存在です。何度もふてくされそうになったときも自信を失いそうになったときも、自分には武器がある、いい選手だと、自信をなくさないように支えてくれました>
もちろん田中も、このときのことを鮮明に覚えていた。
「モッチャンはメンバー外になって一緒に自主練していましたからね。お互いにどこが良かった、どこが悪かったとか外からの目で言ったり、言われたり。最後のあの言葉は僕にとって財産にもなっています。モッチャンもそうですけど、年下の選手に対して別に後輩だと思っていなかった。チームメイトだし、仲間だし、僕にとってはそういう感覚なんです」
J1通算333試合66ゴール、J2通算56試合3ゴール。浦和レッズで12年間、アルビレックス新潟で9年間。ケガとの戦いを繰り返しながらも21年という息の長い現役生活を送ることができた。
田中は言う。
「自分にウソをつかずにできた、そういう現役時代でした。ウソって自分にしか分からないし、甘えてウソをつきそうになったこともあります。でもいろんな人に支えられたからウソをつくことなく頑張れた。だから本当に感謝しかないんですよね」
多くの人に感謝して、多くの人に感謝されて――。
U-18監督として選手たちと“並走”するスタイル
現役キャリアを終えた田中は翌2022年からトップチームのアシスタントコーチとしてチームを支え、今年からU-18監督に就任して若い才能たちを指導している。目線を合わせようとするのは、年齢に関係なく対等にチームメイトと接していた現役時代と変わらない。
「選手、スタッフたちにも『対等だよ、フェアだよ』とは伝えています。みんなが全力でやっているんだから僕も、自分の立場で全力を尽くさないといけません。僕も初めて監督をやっているので何より自分自身が成長しなきゃいけない。
選手たちを伸ばしてやろうとかそういう(上からの)目線じゃなく、感覚的には並走なんですよね。ただ監督ですから先に出なきゃいけないときは先に出て、方向性を示すくらい。本来なら先頭に立って引っ張っていかなきゃいけないのかもしれないですけど、このスタイルでやってきてU-18の選手たちの力が最も発揮できている、躍動感を持ってプレーできている感じがするんです」
インタビューしたこの日は朝5時台に起床して朝6時半にクラブハウスにやって来た。7時からスタッフミーティングを行い、夕方に予定する練習試合の準備に余念がなかった。帰るのも夜遅くなる。選手たちに負けないくらいの「成長しなきゃいけない」という思いはトーンを下げたことがない。
並走――。結果的に選手たちの背中を押す形にもなっている。ウソをつかない、甘えない。監督になってもその信念を貫き通している。
高円宮杯U-18プリンスリーグ北信越1部では現在トップに立つ。勝負強く1点差での勝利が多いことに気づかされる。失点数が少ないのも大きな特長だ。
「もともとあまり失点しないチームではあったんです。今年、(チームを)立ち上げる前に選手のみんな、スタッフのみんなに去年のデータを見せて、ゴール数を上げていこうという話をしました。取り組んできたのがビルドアップ。試合のなかで選手がそこを表現しようとしてくれていて、失点が少ないのはみんなの守備の能力が高いというのはあるにしても、自分たちでボールを握る時間が長いことも理由の一つだと思うんです。あとは(課題とする)得点のところにつなげていきたい」
優勝してプレミアリーグプレーオフを勝ち抜き、プレミア復帰を果たすことが当面の目標となる。そしてその先に、自分がやりたいことを胸に抱いている。
「将来的にはやっぱりJリーグで監督をやってみたいとは思っています。選手のときに味わった高揚感、幸福感を感じたあの舞台を、今度は監督として味わいたいし、戦い抜きたい。もちろん今が大切で、もっともっと勉強しなきゃいけない。やらなきゃいけないことが本当にいっぱいあるので」
口調がどことなく熱くなる。
サッカーに全身全霊。
プレーヤーでも指導者でも、田中達也はそのままである。
(文中敬称略)
■田中達也 / Tatsuya Tanaka
1982年11月27日生まれ、山口県出身。帝京高校から2001年に浦和レッズに加入し、1年目からプロ初ゴールを挙げるなど、J1リーグ戦19試合に出場。03年にはナビスコカップ(現・ルヴァンカップ)で大会MVPとニューヒーロー賞を獲得する活躍で優勝に貢献し、浦和に初タイトルをもたらした。13年にアルビレックス新潟に移籍し、21年の現役引退まで9年間在籍した。引退後は新潟トップチームのアシスタントコーチを務め、25年からは新潟U-18の監督を務めている。
(二宮寿朗 / Toshio Ninomiya)
二宮寿朗
にのみや・としお/1972年生まれ、愛媛県出身。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2006年に退社後、「Number」編集部を経て独立した。サッカーをはじめ格闘技やボクシング、ラグビーなどを追い、インタビューでは取材対象者と信頼関係を築きながら内面に鋭く迫る。著書に『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『岡田武史というリーダー』(ベスト新書)、『中村俊輔 サッカー覚書』(文藝春秋、共著)などがある。





















