自宅で行われる”疑似PK戦”「今日は勘弁して」 勝利呼び込んだルーティン「僕が負けることもある」

神戸の新井章太【写真:Niroko NAGANO】
神戸の新井章太【写真:Niroko NAGANO】

神戸を勝利に導いたGK新井章太

 天皇杯連覇を目指すヴィッセル神戸が、PK戦の末にJ3のSC相模原(神奈川県代表)を振り切ってベスト4へ進出した。相模原に先制を許し、延長戦にもつれ込んでも1-1のまま決着がつかなかった一戦でまばゆいスポットライトを浴びたのはゴールキーパーの新井章太。PK戦で相手の1番手のキックを阻止し、流れを引き寄せた36歳のベテランは、ちょっぴりユニークなルーティンでPK戦の感覚を研ぎ澄ませている。(取材・文=藤江直人)

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 PK戦へのプレッシャーは感じていなかった。何しろ毎日のように真剣勝負を繰り広げている。しかも、PK戦に臨む場所は神戸市西区内にあるヴィッセル神戸の練習拠点、いぶきの森球技場ではない。シーズン終盤の11月には37歳になる大ベテラン、ゴールキーパーの新井章太が思わず苦笑した。

「布団の上で毎日のようにPK戦をやらされるんですよ。(疲れで)めちゃくちゃ(体が)きつい日もあるから、今日はちょっと勘弁してくれよ、という日もやらされるんですけどね」

 場所は新井の自宅マンション内の一室。相手は小学校3年生の長男。布団の上でPK戦を行う理由を「下の住人の方に迷惑がかからないように、ですね」と騒音や振動対策だと明かした新井が、さらに続ける。

「お互いに5回ずつ、表、裏(の順)で蹴っていきます。相手との駆け引きもそうですし、そういうのをやり続けてきたなかで、(キッカーが)蹴る瞬間のタイミングなども合わせやすくなると思っています。まあ息子もすごく上手くなってきたなかでやっているので、普通に僕が負けることもあるんですよ」

 ピッチを離れれば一男三女の心優しきパパ。神戸の一員になって2シーズン目を迎えている新井がルーティンとしている、ちょっとユニークな自宅での時間が自信を与えてくれたのは、神奈川県代表でJ3のSC相模原とPK戦までもつれ込んだ、27日の天皇杯JFA第105回全日本サッカー選手権大会の準々決勝だった。

新井のセーブもありPK戦で神戸が勝利した

 先蹴りは相模原。試合会場のレモンガススタジアム平塚のゴール裏をチームカラーの緑色に染めた、相模原のファン・サポーターの大声援を背中越しに受けながら、新井はすでに勝利を確信していた。

「相手の選手たち疲弊していましたし、何というか、勝ってやるぞ、みたいな顔はしていなかったので。自分のほうが絶対に気持ちは上だと思っていたし、その時点で勝敗はついていたのかな、と」

 言葉通りに相模原の1番手、左利きのDF高野遼がゴール右を狙った一撃を、タイミングや弾道などすべてを読み切った新井が完璧に弾き返した。この瞬間、PK戦の流れは一気に神戸へと傾いた。

 続く2番手と3番手の選手には決められたものの、厳しいコースを狙わなければ止められる、というプレッシャーを相模原へ与えていたのだろう。4番手のFW福井和樹の左足から放たれた一撃は、クロスバーに阻まれる。

 対する後蹴りの神戸はFWエリキ、FW宮代大聖、MF扇原貴宏、FWジェアン・パトリッキがすべて成功させる。PK戦を4-2で制し、ベスト4進出を決める立役者となった新井が胸を張った。

「1本止めれば必ず全員決めてくれると思っていました。心強い仲間たちがいるのはプラスでしたね。PK戦はメンタル面がすごく重要なので、1本目で相手にプレッシャーをかけられたのは本当に良かったと思います」

 2020シーズンから完全移籍したJ2のジェフユナイテッド千葉で初めて「1番」を託され、守護神としてリーグ戦全42試合、3780分でフルタイム出場を果たした。当時はJ2の東京ヴェルディから7年間所属した川崎フロンターレを経て10年目。初めてレギュラーを射止めた新井は、4年間で143試合に出場した。

 迎えた2023シーズンのオフ。王者・神戸から届いた望外のオファーを前にして抱いた胸の高鳴りを、新井は「(千葉の強化部へ)すぐに『行きます』と伝えました」と振り返る。

「普通に考えればこんなチャンスはめったにないので、チャレンジさせてほしいと伝えさせてもらいました」

 神戸には日本代表経験もある絶対的守護神の前川黛也がいる。国士舘大学から加入するも2シーズンで出場0に終わったヴェルディや、トライアウトをへて加入した川崎時代と同じく、自身の立ち位置はセカンドキーパーとなるかもしれない。それでも迷わずに移籍した新井はこんな言葉を残している。

「ずっとセカンドキーパーで試合に出られない時期も長かったけど、毎日毎日、本当にサッカーだけを考えて、うまくなるという気持ちを常に抱き続けていれば、必ずサッカーの神様は見てくれているので」

今季の出場は0もチームを支えている

 今シーズンのリーグ戦では、すべてリザーブでベンチ入りしながら出場機会は訪れていない。昨シーズンも前川が一発退場した4月7日の横浜F・マリノス戦での途中出場と、出場停止となった同13日のFC町田ゼルビアで先発しただけ。それでも新井はセカンドキーパーとしての誇りと矜持を抱き続けた。

「リザーブであれ先発であれ、常にまったく同じ準備をしています。僕たちは優勝を目指しているので、僕が活躍してやろうとか、僕がポジションを奪ってやろうとか、そういった気持ちだけでは長いシーズンを戦えない。どんなときでも試合に出ている選手を応援する、という気持ちも大事ですし、自分が出たときにしっかりプレーする、という気持ちも大事。いろいろなバランスがあって初めて強いチームになると思っているので」

 こんな思いを抱き続ける新井へ、吉田孝行監督も全幅の信頼を寄せ、天皇杯では先発を託してきた。J2のヴァンフォーレ甲府との3回戦、シードの東洋大学とのラウンド16、そして相模原との準々決勝でゲームキャプテンも任せている。そして、連覇へ大きく前進した相模原戦後には頼れるベテランへこう語っている。

「普段からしっかりと練習して、ゴールを守るときはピッチでしっかりと結果を出してくれているし、ロッカールームでの声かけなど、本当にチームのためにやってくれる精神的な柱でもある。そういった普段からの姿勢、彼の人間性や献身性といったものが、今日のゲームで新井が活躍した要因だと思っています」

 天皇杯では3回戦以降ですべて延長戦にもつれ込んでいる。甲府戦と相模原戦ではカテゴリーが下の相手に先制も許した。それでも新井は「本当に勝つか負けるかだけなので」と一発勝負を振り返る。

「この大会ではああいう(先制される)ケースは起こりうるし、誰がいつ出ても難しい大会である以上は、やはり相手の勝ちたい気持ちをこちらが上回らないと絶対に勝てないと思っているので」

 勝負師の顔を見せたのもつかの間、長男とのPK戦を思い出した新井は再び父親の顔に戻っている。

「(テレビで)見ているだろうし、PK戦で勝ったのをけっこう喜んでいると思います」

 天皇杯連覇だけではない。史上2チーム目の3連覇へ向けて、首位の京都サンガF.C.に勝ち点1ポイント差の5位につけるリーグ戦。ベスト8に勝ち残っているYBCルヴァンカップ。そして9月中旬に開幕するAFCチャンピオンズリーグエリート(ACLE)で、不断の努力を怠らない新井が神戸を縁の下で支えていく。

(藤江直人 / Fujie Naoto)



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藤江直人

ふじえ・なおと/1964年、東京都渋谷区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後に産経新聞社に入社。サンケイスポーツでJリーグ発足前後のサッカー、バルセロナ及びアトランタ両夏季五輪特派員、米ニューヨーク駐在員、角川書店と共同編集で出版されたスポーツ雑誌「Sports Yeah!」編集部勤務などを経て07年からフリーに転身。サッカーを中心に幅広くスポーツの取材を行っている。サッカーのワールドカップは22年のカタール大会を含めて4大会を取材した。

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