開幕4連敗→解任論が浮上「怖くないわけがない」 岩政監督の本音…マインドが変化した“半年”

大きな転機となったベトナム・ハノイFCでの半年間
2025年Jリーグも折り返し地点を過ぎ、いよいよ佳境を迎えつつある。J1のヴィッセル神戸や鹿島アントラーズ、J2の水戸ホーリーホック、J3のヴァンラーレ八戸のように快進撃を続けているチームはいいが、下位に低迷しているクラブはテコ入れが必要だ。
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今季のJリーグ60クラブのうち、シーズン途中の監督交代に踏み切ったのは、13チーム(8月1日時点)。2024年途中までSC相模原を率いていた元日本代表の戸田和幸監督が「プロ監督は9割5分が解任される。ユルゲン・クロップ(レッドブル・グループ・グローバルサッカー責任者)やジョゼ・モウリーニョ(フェネルバフチェ)、カルロ・アンチェッティ(ブラジル代表監督)といったフットボールの歴史に名を残す偉大な監督も途中解任を経験しているとてもとても厳しい仕事」と神妙な面持ちで語っていたが、誰もが大きなリスクを背負いながら、日々、選手と向き合っているのだ。
それは、今季から北海道コンサドーレ札幌の指揮を執っている岩政大樹監督にしても同じこと。就任直後に4連敗スタートし、いきなり凄まじい逆風にさらされたのだ。当時は「岩政解任論」も一部で浮上。本人も心中穏やかではなかっただろう。
「あの頃はそんな声は全く聞こえてなかったですね。僕はSNSを見ないので。ただ、クビが怖くないかと言われたら、怖くないわけがないじゃないですか。自分のチームをずっと指揮したいと思って監督になったわけだから、怖いのは確かです」と指揮官は本音を吐露する。
とはいえ、古巣・鹿島アントラーズで最初に指揮官になった2022年夏と、3年が経過した今とでは、マインドが全く違うという。
「鹿島を離れることになった2023年末時点の自分は『この後、仕事がないし、どうしていくのか』とメチャメチャ不安でした。未来も分からないし、40歳そこそこで家族もいて、どうやって生活していくのかという心配もありました。
そのタイミングでベトナムのハノイFCからオファーをもらって、東南アジアに出ていく決断をして、そこで成果を上げることができた。半年間でしたけど、少なからず自信を得たし、いい意味で吹っ切れた。『大丈夫だ』という心の余裕を持てました。
実際、日本人指導者はアジアで評価が高いし、多くの国で求められている。僕自身、『アジアの指導者』というマインドを持てたのは大きかった。狭いパイを争うよりは、広い世界に目を向けた方がいいですからね。
だからなのか、最近は『迷ったらやっちゃえ』と思っちゃいますね(笑)。今年の選手起用のやりくりもそう。浮かんだものをリスクがあったとしても『いいや』と割り切れる。それは以前の僕にはなかったこと。前向きに変化したのかなと思います」と岩政監督はチャレンジ精神が一気に増したこと明かす。
指導者になった瞬間、欲が一切消えた
山あり谷あり監督のキャリアの中で、彼がある程度、大きく構えていられるもう1つの要因は、“根っからの教師気質”である。
岩政監督は教師である両親の下で育ち、幼少期から教師になることを目指してきた。東京学芸大学時代に数学の教員免許を取得したことも知られている通り、「教え子をよくしたい」という思いが人一倍強いのだ。
「僕は両親の影響を強く受けているなと思うんです。両親は私利私欲が全くなくて、管理職になることよりも、受け持つクラスにいる40人の子供たちをいかにしてよくするかということだけを考えていました。家でディスカッションするのもそういうことばかり。指導者になってからの自分も『目の前の選手たちを成長させたい』という気持ちが先に立つんです。
プロ選手をやめて指導者の道を選んだ時、『僕はこれまで欲で生きていたな』としみじみ感じました。『自分がうまくなりたい』『優勝したい』『日本代表になりたい』という個人的な欲が本当に強かった。でも指導者になった瞬間、それが全てなくなった。『自分が成功したい』っていう思いが一切消えたんです。正直、すごく肩の荷が下りたし、すっきりした気持ちになれた。やっぱり両親の姿を見ていたからなんでしょうね」
岩政監督というのはそういう人物。仮に札幌を離れる日が訪れるとしても、それまでに選手1人1人が目に見える前進を遂げ、チームのベースが作れていれば、それでいいという割り切った考えを抱いているはずだ。
「周りの人たちからは『いずれ日本代表監督になってください』『欧州で監督やってくださいよ』と声をかけられることもありますけど、そういう野心は一切ない(苦笑)。成り上がり意識がないのは監督としてよくないことかもしれないけど、抱えている選手たちの成長のために人生の時間を割きたい一心なので、僕はこのスタイルで生きていきます(苦笑)。
ただ、勝たないと大きく伸びないのも事実。僕も選手時代を振り返ると、タイトルを取って初めて大きく成長できた。サッカーは勝ち負けの競技ですし、芸術点や内容点があるわけじゃないので、勝たせることが成長に直結する。そういう覚悟を持って、これからもやっていきます」
岩政監督は札幌で愛情と厳しさを持って指導している選手たちに成功体験を与えられるのか。これからの1つ1つのゲームが彼らにとっての飛躍の場となるはずだ。
(元川悦子 / Etsuko Motokawa)

元川悦子
もとかわ・えつこ/1967年、長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに転身。サッカーの取材を始める。日本代表は97年から本格的に追い始め、練習は非公開でも通って選手のコメントを取り、アウェー戦もほぼ現地取材。ワールドカップは94年アメリカ大会から8回連続で現地へ赴いた。近年はほかのスポーツや経済界などで活躍する人物のドキュメンタリー取材も手掛ける。著書に「僕らがサッカーボーイズだった頃1~4」(カンゼン)など。





















