ビスマルク、ドゥンガ、レオナルド…Jリーグ助っ人たちが愛した日本文化 行きつけは“しゃぶしゃぶ店”「タレが好き」【コラム】
ビスマルクは「何でも食べた」 ミューレルは規律に感銘
Jリーグの歴史を語るうえで、外国籍選手の存在は欠かせない。プレーヤーとしての実力はもちろんのこと、日本の生活や文化に馴染もうと努め、活躍につなげた例は多い。「FOOTBALL ZONE」では、「外国籍選手×日本文化」の特集を組むなかで、かつてJリーグで活躍したブラジル人選手が好きな日本文化を挙げていく。(文=藤原清美)
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■ビスマルク:食べ物
ヴェルディ川崎、鹿島アントラーズ、ヴィッセル神戸の合計10年間に渡って日本でプレーし、今は代理人としてJリーグのクラブとも繋がりを持つビスマルク。彼が日本の食について話し始めると、庶民的な話題が止まらない。
「何でも食べたよ。ナットウもウメボシも好き。リオデジャネイロでも、自宅の近くに日本食品を売る店があるから、キムチが入荷されていたら、その場で買い占めるんだ。3つあったら3つ、6つあったら6つ(笑)。それに、友達が来たらカレーライスを振る舞うために、家には欠かさずルーが買い置きしてある」
出張で日系ブラジル人の多いサンパウロに行くと、寿司や刺身に誘うブラジル人が多いが、ビスマルクはいつもしゃぶしゃぶの店に連れて行く。
「あの肉や野菜はもちろん、タレが好きでね。塩辛いのと、甘いのと、醤油味のもあって。みんなに『こんな美味しいものがあるのか!』と感激されるんだよ」
■ドゥンガ:謙虚さと相手を思いやる気持ち
1995年からの4年間、ジュビロ磐田でプレーした闘将ドゥンガ。彼には毎日の練習後、数人のチームメイトたちと一緒にコーヒーを飲みに行く店があった。
「そこに常連の日本人のおじいさんがいて、彼が僕と話すために英語を勉強し始めたんだ。88歳のお年寄りが、だよ。どれだけ謙虚なことか。僕が日本語を話すべきなのにね。僕らは彼をジジと呼び、同じテーブルに座るようになった」
その後、ジジが老人ホームに入居したのだが、お店の人から「彼が施設でドゥンガと友達だと話しても、誰にも信じてもらえないらしい」と知らされたドゥンガは、すぐに施設まで会いに行った。
「ジジは僕の手を取って、みんなに『トモダチ!』って紹介して。すごく喜んでくれたよ」
今はブラジルで、長年老人ホーム訪問の活動を続けている。
「相手を思いやる気持ちを日本で学んだからね。お年寄りにベッドから出てもらいたくて、一緒にダンスを踊ったりするんだよ」
■ミューレル:オーガナイズされた生活
1995年に柏レイソルでプレーし、今はサッカーコメンテーターとして活躍するミューレルは「短期間でも柏に住んだことで、日本文化から大事なことを学べた」と言う。
「日本ではリサイクルゴミ、プラスチック、その他のゴミ……というふうに、捨てる曜日や場所が違うんだよね。最初は知らなくて、妻がブラジルと同じように、全部を1つの箱に捨ててきた。すると、お隣さんが訪ねて来て教えてくれたんだ。言葉が分からなくても、丁寧に説明してくれたから、妻は謝ってきちんと捨て直した(笑)。
笑える失敗談だけど、言いたいのは、日本の人たちの規律正しさと優しさだ。それが、災害に対する機動力や組織力、その際の他者を尊重する愛情に繋がっている。そうやってゼロから再出発し、再構築する。日本の人たちは、リスタートのスペシャリストだと思う。僕らみんなのお手本なんだ」
■レオナルド:素朴な暮らし
ブラジル代表として1994年ワールドカップ(W杯)優勝の直後に、鹿島アントラーズにやってきたレオナルドは、それ以前から日本文化に興味を持っていた。
「神社仏閣のような建築物や、日本庭園の自然の生かし方、日本人の考え方など、色々な本を読んでいた」
そして、いざ日本に住んで感じたさらなる魅力は、身近な暮らしの中にあった。
「鹿嶋は小さな街だから、僕ら選手とサポーターは、スーパーマーケットやレストランなど行く先々で出会って、自然に言葉を交わしたんだ。自転車が日常の交通手段だったから、道すがら、田んぼで仕事をする人たちと挨拶したり。シンプルで、家族的で、とても楽しい生活だった。みんなが身近で、でもすごく尊重してくれる、健全で素晴らしい関係があった。当時20代半ばだった僕にとっては、あの街にある“人を尊重する文化”が、僕自身のあり方も変えたと思うんだ」
■エメルソン:東京散策
2000年から2005年にかけて、コンサドーレ札幌、川崎フロンターレ、浦和レッズでプレーし、現在はサッカーコメンテーターとして活躍するエメルソン。日本では東京、特に原宿に出かけるのが好きだった。
「賑やかだけどおしゃれな街が好きでね。表参道とかを歩くために、最初の2、3回はカツラで変装したんだ(笑)。そのカツラがまた格好悪くて、余計注目を集めた(笑)。そういう冒険も含めて、散策を楽しんだわけだよ」
日本語も達者で、街で困ることもなかった。
「覚えている日本語? 『サイン、オネガイシマース!』と言われたら『ナニイッテンダヨー! アトデ!』と返す。冗談だよ(笑)。札幌で2トップを組んだバンド(幡戸竜二)と兄弟のように仲良くなって、2人で会話するために、お互いの言葉を勉強したんだ。好きな言葉はたくさんあるけど、一番素敵な日本語は『アイシテル』。これだな」
(藤原清美 / Kiyomi Fujiwara)
藤原清美
ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。