「あ、自分の強みなんだ」 阿部勇樹を“変えた”…今に至る礎となった名将オシムの言葉

イビチャ・オシム氏と浦和レッズの元日本代表MF阿部勇樹【写真:Getty Images & 轡田哲朗】
イビチャ・オシム氏と浦和レッズの元日本代表MF阿部勇樹【写真:Getty Images & 轡田哲朗】

オシム氏の指導を受け「ポリバレント」という言葉が定着

 浦和レッズの元日本代表MF阿部勇樹は、11月14日にさいたま市内で記者会見を行い、今季限りでの現役引退を発表した。セカンドキャリアとして指導者の道を目指すと話した阿部は、目指す存在として自身に大きな影響を与えた2人の指導者の名前を挙げた。

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 阿部はジェフユナイテッド市原(現千葉)のユースに所属していた1998年8月に16歳でJリーグデビュー。ヤマザキナビスコカップ(現ルヴァンカップ)の連覇を果たし、07年に浦和へ移籍すると1年目からAFCチャンピオンズリーグ(ACL)制覇に大きく貢献。10年南アフリカ・ワールドカップ(W杯)に出場すると、イングランドへ移籍してレスターで1年半プレー。12年に浦和へ復帰すると、主将としてチームをまとめ、17年には2回目のACL制覇を果たした。

 その阿部はセカンドキャリアについて「僕は今後、指導者の道へ行きたいと考えています。逆に行かなければ、今まで教えていただいた監督に失礼なのではないかと自分は思っているので、その道へ新たなチャレンジをしたいと思っています」と話した。そして、「目標とする監督、先ほどお二人の監督の名前を挙げさせていただきました」と話したのが、千葉時代と日本代表で指導を受けたイビチャ・オシム氏と、浦和で指導を受けた現北海道コンサドーレ札幌のミハイロ・ペトロヴィッチ監督だった。

 オシム氏と阿部の関係で言えば、まずは20歳を超えたばかりの阿部にいきなりチームの主将を任せたのが大きな出来事だった。「あまり表に態度を出したり発言したりしないタイプ」と自己分析する阿部だが、この経験は先頭に立って引っ張っていくというよりも、後ろから支えるような頼れる主将への道を切り開いたのだろう。そして、多くのポジションでプレーできる「ポリバレント」という言葉を定着させたのもオシム氏の指導からだった。

 以前に阿部はこのことについて、「オシムさんが来られてからポリバレントという言葉が使われて、いろいろなポジションができることが『あ、自分の強みなんだ』と感じられるようになったんです。それからは、ここっていうポジションとは考えずに、与えられたポジションでやるという感じになったんですよね」と話していた。GKとストライカー以外は全てのポジションを経験したのではないかと思えるようなマルチプレーヤーの軸にはオシム氏の存在があった。

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