「衝撃すぎた」 闘莉王が五輪で痛感、“世界との差”と教訓「どんな監督でもパニックになる」

闘莉王氏がアテネ五輪の戦いを回顧【写真:築田純/アフロスポーツ】
闘莉王氏がアテネ五輪の戦いを回顧【写真:築田純/アフロスポーツ】

【闘莉王インタビュー|第3回】悔しさを味わったアテネ五輪の戦いを回顧「苦い経験をした」

 東京五輪で53年ぶりのメダル獲得を目指すU-24日本代表は、22日の南アフリカとの初戦に1-0で勝利した。17年前の2004年アテネ五輪に出場した元日本代表DF田中マルクス闘莉王氏は、Football ZONE webの「東京五輪スペシャルアナリスト」に就任し、森保ジャパンについて独自の視点で分析している。アテネ五輪で激闘を経験した闘将の目に映るU-24日本代表の姿とは――。独占インタビュー第3弾では「悔しさに満ちたアテネ五輪」について語った。

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 2004年のアテネ五輪は、闘莉王氏にとって苦い思い出だった。前年に日本国籍を取得し、日の丸を背負って臨む初めての大舞台では、重圧、世界との差、強豪の衝撃と多くのことを経験した。五輪は、選手のサッカー人生を大きく変えるという。

「一番印象的だったのが、普段いくらやっていても予想外のことが起きるということ。予想外に対して僕は準備不足だった。(03年に帰化して)経験も少なく、アクシデントに対する対応力ができていなかったと思いましたね。今までずっといろいろな準備をしてきたなかで、予想外のことが起きたらどうするかが一番難しい。どれだけ心構えができているかが大事なんですよね。この苦い経験をしたからこそ、すごく慎重に(2010年の)ワールドカップ(W杯)に臨めた。いい勉強になったなと思いますね」

 闘莉王氏は2001年にJ1リーグのサンフレッチェ広島でプロデビュー。04年にアテネ五輪に出場し、その後はA代表入りを果たした。10年南アフリカW杯では最終ラインを支えてベスト16入りに貢献。日本代表通算43試合8得点の成績を残している。

 輝かしい現役時代だが、すべての始まりはアテネ五輪での悔しさがあったから。糧にして這い上がってきた。本大会ではグループBでパラグアイ、イタリア、ガーナと同居。強豪が揃う“死の組”で、初戦のパラグアイ戦は3-4で敗戦した。第2戦でもオーバーエイジで参戦していたMFアンドレア・ピルロらを擁するイタリアに2-3と接戦で敗れ、2連敗のなか迎えたガーナ戦で1-0の勝利を掴んだ。この3試合すべてに先発した闘莉王氏は、大舞台での課題を痛感した。

「五輪を無駄にしたなというくらい、思い入れのある大会だった。いくら僕みたいにこんなに鈍感で大胆な人でもそう思えるくらい。でも、その思いがあったからこそW杯で良い経験ができた。大胆にいくところは大胆に、慎重にいくところは慎重にという区別ができるようになったのは五輪が経験させてくれたから。それまで大舞台に出たことがなかったんですよ。もしかしたら1年前(2003年)から(浦和)レッズでプレーしていたら、そうならなかったかもしれない。(01~03年にプレーした)サンフレッチェ(広島)や水戸(ホーリーホック)は、そこまでプレッシャーがかかるところじゃなかった。ちょっと力不足だった気がします」

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