“愛されキャラ”の小兵、13年のプロ生活は「奇跡」 俊輔の言葉には「涙が出そうに」

2018年に現役を引退した天野貴史さんの現在とは【写真:本人提供】
2018年に現役を引退した天野貴史さんの現在とは【写真:本人提供】

【元プロサッカー選手の転身録】天野貴史(元横浜FMほか)前編:仲間から愛された男の引退秘話

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 世界屈指の人気スポーツであるサッカーでプロまでたどり着く人間はほんのひと握り。その弱肉強食の世界で誰もが羨む成功を手にする者もいれば、早々とスパイクを脱ぐ者もいる。サッカーに人生をかけ、懸命に戦い続けた彼らは引退後に何を思うのか。「Football ZONE web」では元プロサッカー選手たちに焦点を当て、その第2の人生を追った。
 
 今回の「転身録」はかつて横浜F・マリノスなどに所属した天野貴史。横浜の下部組織時代は年代別代表にも選ばれ、トップチームでは中村俊輔(現・横浜FC)や松田直樹、中澤佑二ら日本代表選手たちともプレーした。その後、ジェフユナイテッド千葉、AC長野パルセイロを経て2017年のプレーを最後に引退を決意。その後はピッチから離れ、自動車業界の営業職という道を選択した。チームメートやファンから愛された、かつてのムードメーカーは今、日本一の営業担当を目指している。前編では現役生活への思いをお届けする。(取材・文=藤井雅彦)

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 2018年3月、ひとりのJリーガーが静かにスパイクを脱いだ。男の名前は天野貴史。身長163cmの小兵サイドバックだ。

 横浜FMの育成組織出身として2005年にトップチーム昇格を果たすと、トリコロールの一員として計10年間プレーした。2014年に期限付き移籍で在籍したジェフユナイテッド千葉で1年間、そしてJ3のAC長野パルセイロで2年間の、合わせて13年間を全力で駆け抜けた。

 引退が大々的に語られなかったのは、数字だけを切り取ると目立った実績を残したとは言い難いからだろう。Jリーグ通算89試合(うちJ1は45試合)という個人記録には意味と価値があるとはいえ、同じ世界で上には上がいるのも事実。日本代表や五輪代表という肩書きを持った経験もない。

それでも“アマ”の愛称でチームメート、スタッフ、そして関係者の全員に愛された天野は、チームのムードメーカーとして欠かせない役割を果たしてきた。沈んだ空気を蘇らせ、暗く落ち込んだチームを明るく照らすのは、いつも天野の役目だった。

 いじられキャラクターとしてのエピソードには事欠かない。トレーニングを終えて駐車場に向かうと、愛車には毎日のように異変が起きていた。誕生日プレゼントが入った紙袋がサイドミラーにかけられ、屋根の上に飾られていたことも。手荒い祝福は先輩たちから受け取った愛情だ。

 現役引退を決意した直後、天野は胸を張って言い切った。

「全力でやり切りました。悔いは一切ありません。僕がプロとして13年間プレーできるなんて誰も想像していなかったはず。これは奇跡だと思うんです」

藤井雅彦

ふじい・まさひこ/1983年生まれ、神奈川県出身。日本ジャーナリスト専門学校在学中からボランティア形式でサッカー業界に携わり、卒業後にフリーランスとして活動開始。サッカー専門新聞『EL GOLAZO』創刊号から寄稿し、ドイツW杯取材を経て2006年から横浜F・マリノス担当に。12年からはウェブマガジン『ザ・ヨコハマ・エクスプレス』(https://www.targma.jp/yokohama-ex/)の責任編集として密着取材を続けている。著書に『横浜F・マリノス 変革のトリコロール秘史』、構成に『中村俊輔式 サッカー観戦術』『サッカー・J2論/松井大輔』『ゴールへの道は自分自身で切り拓くものだ/山瀬功治』(発行はすべてワニブックス)がある。

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