遠藤航の少年時代…恩師が語る“デュエルマスター”の原点 「一番上手い部類ではなかった」【ルーツを辿る】

日本代表MF遠藤航のルーツに迫る【写真:Getty Images】
日本代表MF遠藤航のルーツに迫る【写真:Getty Images】

【不定期連載|第2回】遠藤航(シュツットガルト/日本代表):小学生時代の“サッカー塾”コーチが回想、プロになれると「想像できなかった」

 日本代表選手はどのような道を歩んでトップ選手まで上り詰めたのか――。日本代表戦士の原点を探る不定期連載「ルーツを辿る」の第2回は、今季のブンデスリーガでデュエル勝利数ナンバーワンを誇るMF遠藤航に迫る。小学生時代に通った“サッカー塾”の「クーバー・コーチング・サッカースクール」で、指導に当たっていた寺尾厚志コーチ(当時ドリームランド校・横浜ゆめが丘校/現・上海校スクールマスター)に少年時代の遠藤の様子を聞いた。現在の日本代表で“最も欠かせない選手”と言われるまで成長した遠藤。ブンデスで屈強な相手にもデュエルで勝利し続ける27歳MFの原点を寺尾コーチが語っている。

(取材・文=Football ZONE web編集部・小杉 舞)

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 “ダイヤの原石”だった。遠藤は小学3年生の時に「クーバー・コーチング・サッカースクール」へ入団。“サッカー塾”とも言える同スクールはフットサルコートで1対1の技術を磨くことに特化しており、遠藤もここで様々な技術を習得。寺尾コーチは小学校卒業まで指導にあたっていた。だが、遠藤の通っていたドリームランド校と横浜ゆめが丘校ではフットサルの全国大会出場者やナショナルトレセン選抜経験者など実力者が多く通っていたこともあり、当時の印象からはプロになれるとは「想像できなかった」という。

「航は落ち着いた子だった。物静かではしゃいでいる感じとかはない。グループが20人ぐらいいるとしたら、そのなかで“一番上手い”ということはなかった。周囲の子(実力者)に比べると決して一番上手という部類ではなかった。だからと言って、何もできなかったというとそうではなくて、グループを3分割するとトップ集団のお尻のほうぐらい。下手とも思わないし、プレーしていてもどかしさもないけど、飛び抜けてこの子が凄いというのはちょっと感じなかった」

 実力者がひしめき合うなかで、遠藤のプレーは当時から「堅実」だったという。「クーバー・コーチング・サッカースクール」では、基礎練習で何百種類もあるボールコントロール方法を叩き込まれる。多彩なタッチの仕方を状況によって使い分け、自身に合ったターンやドリブル、フェイントなどを作り上げていく。さらに練習はフルコートではなく、フットサルコートで行う。あえて通常より小さなピッチで練習することで相手のプレッシャーが速くなる一方、ボール保持者にとっては素早い状況判断が求められ、必然的に技術も高まっていく。周囲が目立つプレーを好む一方で、遠藤は現在にも通じる“縁の下の力持ち”のような正確なプレーを身につけていった。

「周りが自己表現できる子が多くて、目立っていたなかで彼は堅実で地力を伸ばしていった。地に足がついて、大きな成功もしなければ大きな失敗もしない。ただ、今でも守備の選手で、後ろから上がっていく感覚があるけど、子どもの時も、後ろから上がってくるのは得意だったんだなというのは感じる。後ろから前向きながらプレーする、カットして前につなげることは得意だった印象。

 上手いというには、技術が高いとかスピードが速いとか、スピリットがあるとか、いくつかの要素があって、航はスキルの部分では飛び抜けていないけど、スピリットやセンス、強さというのは高い水準だった。スピードも100メートル走はそんなに速くないけど、判断の速さが備わっていたり、準備が良かったり、技術だけより頭の回転が卓越していたと思う」

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