なでしこ天真爛漫アタッカー、16歳で頭をよぎった「引退」と前十字靱帯断裂からの復活劇

AC長野パルセイロ・レディースでプレーするMF三谷沙也加【写真:©2008 PARCEIRO】
AC長野パルセイロ・レディースでプレーするMF三谷沙也加【写真:©2008 PARCEIRO】

【インタビュー前編】三谷沙也加、日ノ本学園での1年で直面した苦悩「サッカーを諦めかけていた」

 なでしこリーグ(日本女子サッカーリーグ)2部で再出発したAC長野パルセイロ・レディースで、自分の殻を破ろうとしている選手がいる。所属3年目のMF三谷沙也加だ。高校時代に将来を嘱望された逸材は、怪我と戦いながら苦難のキャリアを送ってきた。何度もサッカーを諦めかけながら、試練を乗り越えてピッチに立つ彼女の原動力とは――。

 父親や祖父、2つ年上の兄もサッカー経験者という“サッカー一家”に生まれた三谷が、本格的にプレーし始めたのは小学3年生の時。指導者だった親や兄が練習に行くと家で1人になってしまうため、近くのグラウンドまで同行していたのがきっかけだった。

「小学1年生の頃から、ボールを好きになろうという感じで遊んでいて、3年生の時に初めて指導者がついてサッカーをやるようになりました。水泳、テニス、硬筆、毛筆、ピアノとかいろいろ習っていたんですけど続かなくて(苦笑)、残ったのがサッカーでした」

 普段「海外サッカーはあまり見ない」三谷だが、小学生時代からポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド(ユベントス)に憧れてきたという。

「スピードに乗ったドリブルからのシュートが好きで、ロナウド選手をずっとイメージしていました。あのスピード、コントロール、シュートは凄いですよね。自分の持ち味を生かしたプレーを心がけてきました」

 その後、兵庫県の強豪・日ノ本学園高に進学した三谷は、わずか1年で地元・岡山の作陽高へ転校する。熾烈なチーム内競争のプレッシャーでミスを恐れ、楽しさを忘れて“サッカーをしている自分”の先が見えず、競技引退も頭をよぎっていた状態。何かにすがるように兄も通っていた作陽高に足を運ぶが、家族は決して反対することなく、背中を押してくれたと振り返る。

「日ノ本を1年経験してから作陽に行った時、本当はもう辞めようかというくらい、サッカーを諦めかけていました。今のメンタルでもう一回サッカーをやれるのかって……。両親やおじいちゃんに日ノ本を辞めると決めたことも言いづらくて、口に出すのが怖かったんですけど、『沙也加が決めたことならいいんじゃない』とみんなが言ってくれたんです。あの時、そう思ってもらえていなかったら前向きに作陽へ行けていないと思います」

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