食野亮太郎、“東京五輪経由A代表行き”の未来 “激戦区”に参戦「そこでしか生き残れない」

U-23アジア選手権に背番号10を背負って出場したFW食野亮太郎【写真:Getty Images】
U-23アジア選手権に背番号10を背負って出場したFW食野亮太郎【写真:Getty Images】

【食野亮太郎インタビュー|第3回】U-23アジア選手権での“絶望”を受け入れるまでの苦悩

 昨年夏にガンバ大阪からマンチェスター・シティへ完全移籍したU-23日本代表FW食野亮太郎が、海外初挑戦のシーズンを終えて「Football ZONE web」の単独インタビューに応じた。労働許可証の問題から、スコットランドのハーツへレンタル移籍で武者修行に出て、新天地での海外挑戦1年目は19試合3得点。欧州でのさらなる飛躍を誓うと同時に、22歳の食野にとっては来年夏に延期された東京五輪への出場は、大きな目標の一つとなっている。第3回は「五輪からA代表への思い」について語った。

 今年1月、東京五輪世代にとって厳しい結果となったのが、タイで開催されたU-23アジア選手権だった。東京五輪予選も兼ねた大会で、各国が出場権獲得を目指す公式戦。五輪開催国としてすでに出場権のある日本にとっても、本大会を見据えた貴重な実戦の場となったが、1分2敗と大会史上初のグループリーグ敗退を喫した。第1戦サウジアラビア戦(1-2)、第2戦シリア戦(1-2)と2連敗、第3戦でカタールに1-1で引き分けたものの、アジアで勝てなかった事実は選手に重くのしかかった。特に、“唯一の海外組”として招集された食野は10番を背負い、3試合連続で先発出場。1得点1アシストの結果を残したが、表情を緩めることは一度もなかった。

「あの試合が終わった後、しばらくあんまり考えられませんでしたが、ふとした時に思い出してしまっていましたね。チームとしては戦術の基盤があって、今さら変えるとかそういうのではない。それとは別に一人ひとりの土台が大きくないといけないし、戦術も個人が大きければ、それだけ大きいものになると思います。結局は個人が成長しないとチームも強くならないのかなと思ったので、しっかりと自分の実力を伸ばして、選手として一回り大きくならないと。自分は(五輪本番までに)克服できると思いました」

 食野自身、昨年の開幕当初はJ3に所属するG大阪U-23からスタート。そこから着実に結果を残し、自らの力でトップチームへ昇格。J1でも衝撃的なゴールを挙げて、U-23での始動からたった7カ月でプレミアリーグの強豪シティへの移籍を実現させた。結果的に新型コロナウイルスの影響で、東京五輪は1年間の延期を余儀なくされたが、U-23アジア選手権での惨敗により日本の課題もはっきりした。

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