小野伸二は「守備も上手かった」 フェイエノールト元監督が当時の“天才ぶり”を回想

フェイエノールト時代のMF小野伸二(左)とベルト・ファン・マルワイク監督(当時)【写真:Getty Images】
フェイエノールト時代のMF小野伸二(左)とベルト・ファン・マルワイク監督(当時)【写真:Getty Images】

ファン・マルワイク元監督は「信じられないほど良かった」と最大限の賛辞

 元日本代表MF小野伸二(FC琉球)は、日本サッカー界の歴史において指折りの天才として知られている。かつて所属したオランダの名門フェイエノールトでの輝かしいプレーの数々は今もなお鮮明に刻まれているが、当時の監督は「前からの守備も上手かった」と評価している。オランダのサッカー専門サイト「VoetbalPrimeur」が報じた。

 1998年に浦和レッズでプロデビューを飾った小野は、4年目の2001年にオランダのフェイエノールトへ移籍し、すぐさまスタメンに定着すると2001-02シーズンのUEFAカップ制覇に貢献。翌年にはチャンピオンズリーグ予備予選で2ゴールを挙げ、本選出場に導くなど、主力として君臨した。2004-05シーズン以降は故障が増え、06年1月に浦和へ復帰している。

 当時監督だったオランダ人指揮官のベルト・ファン・マルワイク氏が、オランダのサッカー専門誌「Voetbal International」でファンを魅了し続けた日本のレジェンドについて語った。

「信じられないほど素晴らしかった。彼は誰もが思っていたよりもはるかに良い選手だった。クールなテクニシャンとして記憶されているが、前からの守備も上手かった」

 小野はフェイエノールト入り前の1999年7月、シドニー五輪アジア1次予選フィリピン戦で悪意に満ちたタックルを食らって、左膝靭帯断裂という重傷がその後のキャリアにも大きな影響をもたらした。しかし、オランダでも足首の故障や疲労骨折を経験。2006年のドイツ・ワールドカップ出場を優先し、日本への帰国を決断することになるが、ファン・マルワイク監督は代表活動における「酷使」も要因の一つになったと考えているようだ。

「彼ら(日本代表)は毎回、彼を呼び戻した。時差(7~8時間)や12~13時間のフライトについて指摘するようになった。これは彼のキャリアで長きにわたって怪我に影響をもたらすことになる。この派遣義務がなければ、彼はもっと素晴らしい選手へ進歩を遂げていたと思っている」

 ファン・マルワイク監督はかねてから「シンジは今まで見てきた選手の中で最高の選手」とその才能を高く評価していただけに、世界トッププレーヤーに上り詰める姿を見たかったという思いが強いのかもしれない。

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(FOOTBALL ZONE編集部)



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