中村俊輔、サッカー史に残る“日韓W杯落選” 39歳の告白「落ちるのは当然だった」

「トップ下で使ってくれれば…」の強い思い

 中村は当時を思い浮かべながら、落選は当然と自ら口にしている。02年大会に向けてフランス人のフィリップ・トルシエ監督が日本代表を率いていたなか、02年5月17日午後3時30分に始まった会見で23人の大会登録メンバーを発表。トルシエ監督不在のなか、木之本興三・強化推進副本部長(当時)がメンバーを読み上げ、テストマッチで結果を残していた中村をはじめ、FW高原直泰、MF名波浩らが選外となった。

 とりわけ中村のリスト漏れは議論百出となったが、本人は「だって、ベンチで『くそっ』てやってましたから」と冷静に語っている。もっとも、トルシエ監督に反旗を翻していたわけではない。

「自分としては、ぶすっとしてるつもりは一切なかったです。ただ、自分をトップ下で使ってくれれば絶対にやれるのに…っていうギラギラした思いだけは胸に秘めていました」

 トップ下に強いこだわりを持ち、人一倍の自信も胸に秘めていた。ところが、トルシエ体制では左アウトサイドが主戦場となり、ボールタッチの回数も減少。指揮官へのアピールに燃える中村が、貪欲な姿勢を前面に押し出すのは自然の流れだった。結局、当時23歳のレフティーに非情通告が突きつけられたが、現在の中村は「今考えれば、その決断はよく分かる」と胸の内を明かす。

 

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