若き日の小野や本田が放った輝き オランダで欧州“一歩目”を刻んだ日本人選手の系譜

本田はオランダから飛躍した最初の日本人に

 小野に続いたのは平山相太(現ベガルタ仙台)である。国見高校から筑波大学へ進学していた長身FWは、05-06シーズンにヘラクレス・アルメロへ電撃的に加入する。

 デビューも衝撃だった。途中出場から2ゴールを叩き出す最高のスタートを切り、最終的にはチーム最多8ゴールを記録する。翌シーズンはさらなる飛躍が期待されたものの、開幕直後にJリーグのFC東京へ移籍した。

 平山と同じ北京五輪世代では、エールディビジへの挑戦を経て日本代表の主力に定着した選手が二人いる。

 一人目は本田圭佑(現パチューカ)だ。星稜高校から名古屋グランパスへ加入したレフティーは、08年1月にVVVフェンロへ完全移籍する。ところが、チームはそのシーズンに2部へ降格してしまう。

 VVVに残留するか、移籍を模索するか――。08年夏の北京五輪を経て本田が下した結論は、2部での自己改革だった。「攻撃の選手は、決定的な仕事をしないと評価されない」とのシンプルな原理を、VVVで突き詰めることにしたのだ。

 果たして彼は、シーズン16ゴールをあげて1部復帰の原動力となる。FKキッカーとしても覚醒し、左腕にはキャプテンの腕章が巻かれた。09-10シーズンも前半戦だけで8ゴールをマークし、冬の移籍市場でUEFAチャンピオンズリーグに出場していたロシアの強豪CSKAモスクワへ引き抜かれる。エールディビジからのステップアップを勝ち取った、最初の日本人となったのである。

 

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