“川崎の太陽”ジュニーニョ、引退発表の中村憲剛に贈るメッセージ 「手助けできたのなら本当に幸せ」

川崎フロンターレなどで活躍をしたジュニーニョが中村憲剛にメッセージ【写真:アフロスポーツ】
川崎フロンターレなどで活躍をしたジュニーニョが中村憲剛にメッセージ【写真:アフロスポーツ】

【あのブラジル人元Jリーガーは今?】ジュニーニョ(元川崎、鹿島):特別編――9年間共闘した盟友に捧げる言葉

 ブラジル人FWジュニーニョが、母国から日本へ移籍したのは2003年のことだ。当時J2所属だった川崎フロンターレのJ1昇格に貢献するとともに、9年を過ごした間にJ2とJ1の両方で得点王に輝く史上2人目の快挙を成し遂げた。外国籍選手としても、J1通算得点ランキングで堂々の3位。“川崎の太陽”と呼ばれ、サポーターに愛された存在だった。

 そのジュニーニョと同じ2003年に川崎に入団し、9年間すべてで共闘したのが元日本代表MF中村憲剛だった。抜群のコンビネーションでゴールを量産した、かけがえのない戦友だ。

 ジュニーニョが今も鮮明に思い出すのは、1年目の2003年6月28日に行われたJ2リーグ第20節サガン鳥栖戦(6-3)での中村のゴールだ。この年に28ゴールを挙げたジュニーニョは怪我で欠場したなか、ブラジル人DFアウグストが左サイドをドリブルで持ち上がり、クロスを供給。右サイドから走り込んだ中村が、ダイレクトでゴールに蹴り込んでみせた。

「素晴らしいボレーだった。ケンゴの技術力の高さは、練習の時から分かっていたんだ。まだ若かったとはいえ、将来性があるのはすぐに分かった。あのゴールは、それを証明してくれたようなものだ」

 中村はこれまでたびたび、「ジュニーニョは教えてくれるだけではなく、非常に要求もしてきた」と語っている。その要求に応えようとすることで、自分も引き上げてもらった、と。ジュニーニョには、お互いに助け合える関係になれるという確信があったという。

「そう、ものすごく要求した。というのも、分かっていたからね。ケンゴはもっとやれるって。ただ、彼の成長を手助けするのはもちろん、僕にとっては、自分を手助けしてくれる選手だと感じたから、というのもあるんだ。だから、要求した。僕が彼を見れば、そして、彼が僕の動きを見れば、僕が必要とすることを分かってくれる、というふうになるためさ。実際、すごく手助けしてくれた。データを見れば分かるよね。僕のゴールのどれだけ多くが、ケンゴのパスから生まれたことか」

藤原清美

ふじわら・きよみ/2001年にリオデジャネイロへ拠点を移し、スポーツやドキュメンタリー、紀行などの分野で取材活動。特に、サッカーではブラジル代表チームや選手の取材で世界中を飛び回り、日本とブラジル両国のテレビ・執筆などで活躍している。ワールドカップ6大会取材。著書に『セレソン 人生の勝者たち 「最強集団」から学ぶ15の言葉』(ソル・メディア)『感動!ブラジルサッカー』(講談社現代新書)。YouTubeチャンネル『Planeta Kiyomi』も運営中。

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