【奥寺康彦が直撃!】第3回|長谷部誠が明かす「ドイツで求められるプロとしての振る舞い」

全試合に出場することの難しさ

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――長谷部選手が約5年半所属していたヴォルフスブルクを離れる決断をした理由は?

長谷部 タイミングもありました。あと、ヴォルフスブルクでは自分のやりたい中盤のポジションであまり試合に出させてもらえていなかった。中盤で出ていたシーズンもありましたけど、それほど多くはなくて。右サイドバックとか右サイドハーフが多かったので、ボランチとして試合に出られるところに行きたいということでニュルンベルクに移籍しました。

 ただ、ニュルンベルクでは(シーズンの)半分近く怪我をしていて、しかも、チームを降格させてしまった。その後に移籍したので、だからこそ、「フランクフルトでは、自分はできるんだというところを見せないといけない」という強い気持ちがありました。

――その結果、フランクフルトでは不動のレギュラーとなり、2014-15シーズンは長谷部選手自身のキャリアの中でも、リーグ戦で最多となる33試合に出場しましたね。

長谷部 そうですね。ただ、出場停止が1試合ありましたから。

――多くの日本人選手がドイツで活躍するようになりましたが、リーグ戦34試合全てに出場したのは日本人の歴史上では奥寺さんだけ。今季はあらためて、そのすごさを実感したのではないですか?

長谷部 そうですね。(全試合に出場するためには)怪我をしてはいけないし、出場停止があってもダメ。そこがすごいと思いますよね。奥寺さんはイエローカードはあまりもらわなかったんですか?

奥寺 「ほとんどもらっていないんじゃないかな(※)。ボールの奪い方がうまかったのかな、なんて(笑)。

※ドイツで9シーズンをプレーして、イエローカードをもらったのは3シーズン、合計5枚だけだった。

 

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